《作る人 食べる人より 長生きし》

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 連れ合いがお手玉の形をしたお雛様を作って玄関に飾っています。お転婆さんなのですが,やはり紅一点の所作を楽しませてくれます。裁縫は苦手だと言っているのに,チョコチョコとした小物を作るのは好きなようです。ただいつでもというわけではなく,突然思い立ってすぐに作ろうとするので,道具や材料を揃える準備に巻き込まれ慌てさせられます。
 何か新しいことに向けて手を動かしている連れ合いは生き生きとしています。大人になって失うものの中で最も大きなものは好奇心です。「小物を作って,それが何になる?」と考えるようになります。結果の効用しか認めなくなり,作る楽しさを忘れていきます。無くても困らないもの,役にも立たないものといった必要性の尺度から外れて見えるものが,文化の豊かさです。
 かつてお嫁入りの資格としてお茶とお花の免状を持つことが必要視されていました。住まいから床の間が消えていくにつれて,その能力を発揮する場がなくなり,いつしか無用なものと思われています。お茶もお花も効用はおもてなしの作法です。近頃は家で人をもてなすことをしなくなりました。暮らし方が変化してしまったのです。家人に対してのもてなしでは張り合いがないのかもしれません。
 効用だけを見る曇りを拭いましょう。大切なことは楽しむことです。作法だから,もてなしだからと暗に強いられているから,おもてなしをすることがうっとうしく感じられてしまいます。楽しみを分かちあうことがもてなしの心だったはずです。
 「私作る人,ぼく食べる人」というCMがセクハラに当たるというので,中止になりました。それは今の時代には正しいことだと思います。ただ,作る人は長生きし,食べる人は先に逝くという結果と重ねると,作る楽しさを知る方が心の健康を保てるからではないかと考えてみたりします。作るという行為を苦であると考える背景には,作らされているという受け取り方があります。作る楽しさを知ることが至福への切符だと思うのですが?
 ところで,連れ合いが会社でお雛様を若い女性に見せたところ,「欲しい〜」の合唱に攻められたそうです。「大変」とぼやきながらも,うれしそうです。母性本能をくすぐるのは若い人の得意技です。願わくは,自分でも作りたいと思って欲しいものです。作り上げることの楽しみを見つけてくれたら,人生に深みが出てくるはずです。

(2001年02月25日号:No.47)