家庭の窓
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インスタントコーヒーを入れにキッチンのカウンターに行くと,朝食前に準備された小皿に載った3種類の薬がそのままになっています。連れ合いが毎朝飲んでいる薬です。団体の役職をしているために朝から出かけているので,飲み忘れると一日空けることになります。すぐにどうということにはならないようですが,大丈夫かなと気がかりです。
役職を果たす上であれこれと気配りをしなければならないので,朝の出かける前は,手配りで頭がいっぱいなのでしょう。薬の小皿が置いてあるところがリビングからは衝立の陰になっているので,キッチンに入らないと目につきません。時々あることなので気をつけているのですが,忘れていました。
病気もせずに毎日薬を飲むという経験が全くないので,どうしても気をつけるという働きが浅くなってしまいます。病気のつらさや薬のありがたさという実感を持ち合わせていないことが事の重要性を割り引いています。思いやりという想像は実感を伴わなければ形式以上にはならないのです。
毎朝の日課として,連れ合いに薬を飲ませるというパターンを組み込むことが必要です。ただ単に連れ合いが薬を飲んだか気をつけておくといったことではなく,連れ合いに薬を飲ませることを自分の行動にしてしまうことです。他人であれば見守るという立場でいいでしょう。しかし,連れ合いは同体であるというのであれば,自分に薬を飲ませるのと同じ意思を持つことが大事になります。
人は失敗をします。その失敗を繰り返さないようにしなければなりません。また,飲み忘れた。そこで終わっていては,生きていることにはなりません。何が足りなかったのか,どうすればいいのか,改善に向けた方策を作り出さなければなりません。そのために,問題意識を持ち続けることにします。とりあえずできることとして,いつも座るパソコンの前に「薬」と書いたメモを貼っておくことにします。習慣にするためです。
連れ合い共々組織の代表を務めていますが,それぞれに多層組織であり,充て職としての役務も重なっています。年度が始まっている時期,年間の諸計画の具体案を作り上げたり手配したり,段取りに追われている状況です。自分の身を案ずる暇もないという日もあります。それだけに余計に意識して,連れ合いの日々の流れに気をつけておこうと思っているこの頃です。
それぞれの予定を書き込んだ二つのカレンダーは,隙間がありません。明日の連れ合いの予定は? それを頭に入れて行動予定を立てています。手助けできることはできるだけ優先して処理しているので,こちらの仕事が期限間際のぎりぎり操業になっています。それもまたそれで,味のあることとうれしがっています。
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