家庭の窓
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最近,本を読むことをしなくなりました。時間がないというのが,理由です。しなくてはならない雑事が次々に出てきて,落ち着けないのです。とりわけ,あれこれ頭を絞って文章を書き出す用向きが多くてその方に気持ちが片寄ってしまい,情報を取り入れる方が疎かになっています。必要になる情報に絞って,本棚から引き出すのが精一杯です。
定期購読物が届きます。時間と共に流れていくものなので,目を通さないわけにはいきません。最小限の拾い読みをする程度です。必要な情報は,メモしておきます。ただ,拾い出す情報は,今必要なものに絞り込んでいます。いつか役に立つだろうという将来への期待は,断ち切っています。これまでの経験から,いつかというのはほとんどやってきたことがないからです。それでも,手元から即排出にはしていません。積ん読状態を保ちます。保険のつもりです。
定期購読物の代表である新聞は,最近手にしていません。主なニュースはテレビ放送やネット情報で間に合わせています。詳しく知りたいことがなくなってきました。無関心というのではありませんが,マスコミ情報のしつこさについて行けなくなっています。社会生活から半歩ほど退いているせいでしょう。単純に,何があってどう決着したか,それだけで十分な気がしています。
いろんなチャネルを通して情報発信をしているのですが,ただの受け売りでは意味がありません。自分なりの考察を加えて,自分の言葉として伝えたいと思っています。そのためには,一つのテーマについて十分に考えて熟成させる時間が必要です。ああでもないこうでもないといったこね回す作業です。その時間が欲しくて,余計なことは考えられません。いつも何かについて考えている,見ようによっては,閉じこもりです。
パソコンの画面を見ながら,キーボードを打つ手はそれほど動いていません。一文を打ち込むのに時間が掛かります。創作活動というほどの大げさなものではありませんが,絞り出すといった感じです。くらしの用事が入り込んでくると,その作業が途切れます。終わってから戻ってきても,そのまますんなりと続きというわけにはいきません。思考を再度練り直すという作業が必要になります。身体運動と同じように,考える作業にも慣らし運転という準備が必要です。
そんな日々を送っているので,連れ合いとのコミュニケーションは密とは言えません。それでもできるだけ,耳を傾けています。ただ,こちらから話しかけることは少ないようです。いろんなことを話すようにしたいと思っていますが,果たして聞いてもらえるでしょうか? 男の話は,結論重視なので,女性のようなあちらこちらに展開していく話にはなりません。すぐに会話は終わってしまうようです。聞いている方が無難かもしれません。連れあいがあれこれ話してくれるのを,真っ直ぐに聞いている,それが最近の情報収集のメインになっています。その時間だけはきちんと取るようにしています。うれしい時間として・・・。
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