《うれしさは 鳥の健気さ 垣間見る》

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 5月の暑い日,子どもたちの下校時間に,信号のない交差点で見守りをしているときです。低学年の下校の流れが中断して,次の高学年の下校を待っている間です。遠くの田んぼでトラクターが土を鋤いているのが見えました。よく見ると,トラクタの後ろから2羽の白い鳥が走って追いかけています。掘り返された土に虫が見つかるのでしょう。トラクタの音を怖がる風でもなく,ついて回っています。トラクタが何をしているか,理解しているようです。
 よく見ると,白い鳥だけではありませんでした。すずめの群れもトラクタの後をついていっています。トラクターが方向を変えると群れの動きも変わります。運転している人にはそのつもりは無いのでしょうが,鳥たちは作業によって起こっている出来事をそれなりに上手く利用しています。
 我が家に隣接している田んぼもきれいに鋤かれて,水が流れ込んで,大きな水鏡が出現しました。夜になると,蛙たちの大合唱です。水が入ったその夜から始まります。今までどこにいたのか,毎年不思議に思います。土の中に眠っていた蛙が,水を浴びて目を覚ましたかのようです。そうであるなら,蛙の生活リズムを作り出しているのは,人なのかもしれません。蛙はいつから,そのような生き方を選んだのでしょう。
 町内では,田んぼが宅地に変わる所も見られます。田んぼの地下に眠っている蛙は,頭上に家が建つとは予想もしていないでしょう。眠っている間に,住宅で封印されてしまうとしたら,可哀想です。基礎工事の騒音で目を覚まして,急遽脱走していることを願うばかりです。
 人は自然を自分の都合に合わせて利用していますが,その同じ自然を同時に小動物も利用しています。利用する部分は違うので共存することができます。時として競合することがあると,人からの排除がなされますが,そのときは小動物は別の手を考えることでしょう。人は考え及ばないかもしれませんが,おおむね仲良くできるほど,自然の懐は深いはずです。
 機械文明の中に暮らしていると,人の考える通りに物事が動くと思ってしまいます。しかしながら,幾分かでも自然が介在する場合には,未知の部分が紛れ込みます。そこには,人間以外の動植物の暮らしがあります。
 温暖化によって気候変動が起こり,人が住めなくなる環境の出現が危惧されているようですが,自然を人のためだけに利用しようとする思い上がった考え方こそが,危惧すべきことです。石油文明は枯渇の時期に向かっています。炭酸ガスの排出は規制問題ではなく,元を絶たれて排出できなくなる時期がやってきます。どちらが先かということでしかありません。より自然に寄り添った暮らしを取り戻すことを考える方が賢明かもしれません。
 人知の及ばない領域がすぐそばにあるということ感じることのできることは,うれしいことです。

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(2009年06月07日号:No.480)