《うれしさは 気持ちの救い 探る道》

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 田んぼに苗が植えられて,伸びているようです。毎日見ているのですが,そのせいで伸びていることが見えにくくなっています。ところで,田んぼの隅に,苗の固まりがいくつか置かれています。機械で植えるので,隅の方が空きます。その部分には手植えになるようです。その残りでしょう。しばらくは緑の固まりでしたが,やがて部分的に黄色に変わってきました。枯れてきました。もちろん,ちゃんと水につかっているので,干上がりのせいではありません。
 具体的な訳は分かりませんが,密集していることが育ちの阻害になっているようです。田んぼの苗は数本ずつ間隔を確保して植え付けられていますが,苗の周りにある程度の広さを必要としているからでしょう。ぎゅうぎゅうに詰められると,息苦しくなるといった感じでしょうか。
 人の手によって,種籾が成長を始めて,苗にまで育ちました。同じようにスタートした苗が,一方はゆったりとした空間を与えられひたすら成長を続け,他方は詰め込まれたままに放置され,稲に育つことができずに枯れていきます。命を全うできない悔しさを思うと,切なくなってきます。できることなら手を貸してやりたくなりますが,かといってよい方法を思いつくこともかないません。固まり全体が朽ちていくのをただ見ているだけです。
 生き物すべてが命を全うするとはいかないようです。環境を得ないで夭折するものがあります。強いものに邪魔されるということもあります。生き物の世界は無駄になる割合を織り込んでいるのでしょうか。弱い生き物は種や卵といった命のタイムカプセルを大量に用意します。次世代に命を託すまでの成長を果たすのはごく一部になります。その犠牲は生態系という大きなシステムを維持する必要条件と考えられます。
 目の前で枯れていく苗は,一体何のために枯れていくのでしょう。全くの無駄になっているのではないかと思うと,悲しくなってきます。もちろん,田んぼで育っている苗も,やがて米になって人に食べられてしまいます。稲にとっては命を伝えるという命題が完成直前に無に帰す無念があります。それでも,人の命を支えるという貴い犠牲であり,いただきますという感謝の気持ちを受けることができます。無駄ではありません。
 さらに大きな世界を想定すると,朽ちることによって土に返るというルートを考えることができます。命を育む土につながる,その大きな輪廻の中で枯れていく苗を見るようにすれば,自然の摂理に無駄はないと思われます。ここまで思い巡らしてくると,少しは気持ちが救われるようです。

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(2009年06月28日号:No.483)