《うれしさは 生きる姿を 垣間見て》

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 久しぶりにこぢんまりした中華の店に行きました。連れ合いがお気に入りの料理があるので,行きつけになっています。その日は週日の昼前でお客は誰もいませんでした。窓際の席に座って,注文を終えて,なんとなく外を見ていたときです。目の前をすっと動く黒い影をみました。動きを追って見上げると,ひさしの内側の壁にツバメの巣があり,2羽の雛ツバメが顔を出しています。頭の部分に黄色い横一線がくっきりと見えています。一瞬その黄色の線を目と思ったのですが,くちばしでした。大きく開いて口だと見せてくれました。
 待っていると,親ツバメがすっと飛んできて,大きく開かれた口に餌を与えて,また飛んでいきます。何度かその光景を見ている内に,ちょっと気になってきました。2羽の雛の内,右側に見える雛の方が餌を受け取る回数が多いのです。一度に両方に餌を与えるときはいいのですが,一回の給餌の時は右側の雛に集中しています。時折左の雛にいくこともあるので,全くなしというわけではありませんが,気になりました。
 親はどちらに餌を与えたのか覚えているのかいないのか,知るよしもありません。見上げなければならないので,食事をするために下を向くと,見えなくなります。どちらの雛に親が餌を与えるか確かめようと思っていると,その一瞬を見逃さないために,おちおち食事もできません。連れ合いと二人で,交代で見上げるようになっていました。
 日によって雛が左右の場所を変えているとか,食べ足りた方の雛が口を開けなくなるとか,何らかのバランスに向けた動きがあるのだろうと想像するだけで,それを確かめる時間はなくて,食事を終えてツバメの親子に別れを告げました。自然には微妙なバランスが働いていることを信じることにしました。
 一方で,それほど長い待ち時間もなく親が餌を運んでくるのは,感心します。虫をつかまえてくるのでしょうが,どこまで飛んでいくのか,小さな虫を飛びながら探し出す苦労を想像すると,その能力に驚きを感じます。何の支えにもなりませんが,心から応援したくなります。
 ツバメの巣は一つでした。ツバメは群れをつくっていないということのようです。餌場というテリトリーを確保する本能からでしょうか。さらには,分散することによって群れの全滅といった危険を回避しているのかもしれません。環境に適合するために,生きていく上での都合を選択しているものと思われます。
 ツバメの暮らしを垣間見て,人の暮らしぶりと重ね合わせると,同じ部分は共感できますし,違う部分はどうしてだろうと推察することができます。この推察が当たっているかどうかは,じっくりと観察して検証するという手続きが必要になります。研究の領域ですので,専門家に任せておくことにします。
 一度考えてみるという経験をしておくと,どこかで続きに出会ったときに,「そうだったのか」という感激が得られるはずです。喜びの種を手にしたことがうれしくなります。

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(2009年07月05日号:No.484)