家庭の窓
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会議の折に話すあいさつに挟み込んだり,ある機関紙に掲載しているコラムの導入にしたりするために,雑学ネタを意識して探しています。言葉の成り立ちに関する小ネタが多くなっているようです。例えば,明治時代,カバン屋さんが「革包」の2字の看板を掲げていました。勝手に作った当て字でしたが,明治天皇が見て,何という字か尋ねられました。当て字なので皆は読めないと気がついた店主は,「かばん」とふりがなを付けました。たくさんの道行く人が見ている内に,革包をカバンという1字の文字と勘違いしてしまい,今の鞄という字が定着したそうです。
この手の他愛もない雑学ですが,ちょっとしたストーリーがあるので,紹介した後にその場にふさわしいテーマと関係づけて話をすることができます。例えば,文字による伝達では,知らない字があると読み手が勝手に解釈して内容がゆがむことがあるので,留意した方が良いといった話につながります。伝えたと伝わったとは一致しないということの例示になります。
ただし,故事来歴に属するネタは,複数の説があることに気をつけておかなければなりません。漢字の成り立ちなどもいくつかの説に出会うことがあります。おもしろいと思って紹介してきた説明が,通説であると別の文献に書かれていることはよくあることです。それほど厳密な議論の場で話すわけではないので,聞き手も話半分で聞いてくれていると思っています。ただ,厳密性にこだわる様な場では,確証はないので,「〜ということです」と結ぶことにしています。伝聞の形にしておけば,責任を取らなくて済むという逃げ口上です。
親という字は,木の上に立って見ると書きます。そういって親のあり方を説明する方がいます。都合のいいように分解しているだけのようです。いろんな説明が話の中に紛れ込みます。楽しく記憶すればいい場合にはそれも一興です。話半分で聞いていればいいでしょう。
雑学という小知識がテレビで流行っていますが,最近は漢字の読み書きがクイズになっているようです。知っているかいないかというだけで終わっていますが,自分の中で整理しておくと,話のつまとして使えます。テーマに味付けをして、記憶しやすくなります。それほど大げさなことではありませんが,無駄を省くことはできます。今はエコの時代ですから・・・。
手元にあるメモ書きに,「恥=心に耳,恥かけば心に届く」とあります。恥をかくこと,それは心の耳であるという風に展開できるという聞き書きです。恥をかくことの効用を話す際に,その理由付けとして使えそうだと,メモを取ったようです。話をするときや文章を書くときに,納得してもらうための拠り所が不可欠です。皆がそう思うとか,昔からそういわれてきたとか,といった後ろ盾がないと,受け入れてもらえません。伝えたいことが相手に伝わるためには,それなりの味付けをしておかなければなりません。「そうか」という同意を引き出すネタが必要なのです。
話をまとめているときに,これだという小ネタを見つけたときはうれしくなります。相手との間につながりの踏み石を発見できたうれしさです。これで相手も出てきてくれるということです。話とは,相手の中に踏み込むことではなく,お互いが出てきて共通点で出会うことでつながるものと思っています。
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