《うれしさは 共に連れ添う 道ありて》

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 最近,新聞を全く読まなくなりました。読まないだけではなく,手にすることもありません。ただ,マガジンラックに貯まった新聞を片付けるときだけ,手にするのみです。テレビも連れ合い独占チャンネルなので,目に飛び込んでくるニュースの断片に触れるだけです。世間に流れている情報に関心が向かなくなっています。無関心というわけではないのですが,自分には直接的に関わりがないという情報ばかりで,知ることの実感的な喜びがなくなっているからです。
 本はおぼれるというほどではありませんが,適当に読んでいます。読んでみようかなという本ですから,暇な時間があれば,開いています。情報に触れることが心の糧であるとするなら,日々の情報という新鮮な野菜にかなう糧が不足気味かもしれません。パソコンの画面に現れるニュースのタイトル群を一瞥しているようでは,心のビタミン不足になるかもしれません。
 情報という刺激に心がどう反応するのか,その営みを通して,生きる活力が沸騰させられるものです。依頼を引き受けた結果としての役職の縁で,考えなければならない課題が目の前に山積みになっています。取り組まざるを得ない知的刺激に直面しているので,情報処理機能がフル稼働に陥っています。有り体に言えば,考えることが有り余って,余分な関心を持てなくなっているというのが実状です。
 自分なりに目の前のことに一つ一つきっちりとけりを付けているのですが,そのことが水の低きに流れるがごとく,新たな仕事を招き寄せています。もちろん,自らの時間的な容量を超えるものは避けていますが,頼られると何とかしてみようというつまらない男気が邪魔をします。傍目には忙しすぎると見えるかもしれませんが,やりくりできる範囲は弁えているつもりです。
 関わっている領域は,社会教育関係,福祉関係,人権擁護関係の組織活動と多様ですが,いずれも共に生きるという視点では共通しています。自分の中では一つの領域として認識していますので,あれこれに首を突っ込んでいるという意識はありません。だからこそ,面倒なことと敬遠される役割を引き受けることができているのでしょう。
 このペースを維持するためには,新鮮な野菜的な情報を摂取する必要があります。ただし,新鮮さは地産地消が一番ですから,マスコミからよりも,連れ合いからの身近な情報の入力が必須となっています。似たような領域に関わる役を担っている連れ合いの話はよく聞くようにしています。
 連れ合いと共通の話ができることは,夫婦としてうれしいことであると同時に,それぞれにとって大事な糧になっています。

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(2009年07月26日号:No.487)