《うれしさは 信じる余裕 訳ありと》

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 頭上をヘリコプターが飛んでいます。低い音が部屋中に轟いて,テレビの音声が埋まってしまいます。「うるさいな」という拒否感が湧いてきた後に,「何をしているんだ」という問いかけが出てきます。もちろん答えは空の彼方なので返ってくるはずもありません。
 訳の分からない邪魔は拒否しようとする一方で,訳が分かれば許すこともできます。何をしているんだという問は,理由が知りたい,理由が分かれば仕方がないという許しに向けて気持ちを納めることができるという一連の感情処理機能の始まりです。遠ざかっていたヘリコプターがまた飛んできます。
 旅客機であれば,人を運んでいるという目的が自明ですから,我慢が発動します。ヘリコプターは人の移動もあるでしょうが,その他の利用もあるようで,見当が付きません。結局は,誰かが何らかの用件で飛んでいる,という全く訳の分からないままで終わるしかありません。
 社会生活はお互い様です。周りの人に迷惑を掛けることが避けられません。その際に,訳が分かるということが許しを得る上で必要なことです。車の流れを乱す救急車やパトカーの走りは,緊急という訳があるので,我慢できます。大きなトラックが車線をふさいでいるとき,引越作業が見えると,仕方がないと思います。ところが,普段とは違った場所で渋滞に出会うと,一体何が起こっているんだという訳の分からない状況になって,待たされるいらいらを逸らす道が見あたりません。
 ご近所関係では,お互いの生活状況をなんとなく見知っていれば,譲り合いができます。多少の迷惑はお互い様と思うようになります。ただお互い様であるというのも微妙な所があります。子どものいる家といない家では,子どもの喚声が一方的になります。お互い様ではなくなります。子どもを育てた経験がないとか若夫婦だけといった家では,子どもの喚声はうるさいだけかもしれません。子どもの元気さという訳を認めるかどうか,難しいことです。そんなときには,お互い様の交換を広く考えることも必要になります。若夫婦の場合には,いずれ子どもができるということもあるでしょうし,飼っている動物による迷惑もあり得ます。生活パターンが違えば,違ったことでお互い様の交換をすることになります。
 社会生活では,それぞれの暮らしや活動の空間が重なることは避けられません。空間を共有する不自由さは我慢を必要としますが,お互いに了解するという条件が整わなければなりません。知り合うことからはじまります。情報社会は,何もITの世界だけのものではありません。身の回りの世間の動きについての情報に関心を持つことが,気持ちの安寧をもたらしてくれます。
 永く生きてきた経験は,たいがいの事情には通じることになり,訳の分からないことが少なくなっています。訳が明確ではなくても,何かそれなりの訳があるのだろうという余裕を持つことができます。いちいち目くじらを立てる性急さがなくなると,楽になるようです。ヘリコプターはいつの間にか消えて行きました。

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(2009年08月02日号:No.488)