家庭の窓
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最近,マンションオーナーや金融商品などの勧誘電話が東京や京都から飛び込んでくるようになりました。何処で電話番号を調べたのかという素朴な疑問は,この情報ネットワークの世の中では時代遅れの疑問になっています。否応なく門戸開放の状態になっていることは考えれば不気味な不安材料ですが,一方で遠距離電話代もトータルすれば結構なものになることだろうと先方の懐を心配しています。
勧誘の出だしはこちらが「ハイ」や「そうですね」と肯定的に答えてしまうような問いかけで始まります。やがて「はじめての電話ですので今すぐご返事を頂くのではなく,まず話を聞いて知って頂くだけでいい」と勧められます。辞退すると,その理由を尋ねられます。こちらの事情を話すと,そこに話をつないでいくのがコツなのでしょう。「忙しい」と言えば,「いつならいいですか」,「関心がない」と言えば,「関心が持てるかどうかは話を聞いてからでも・・」,その他に「他の先生方もされている」,「無理を勧めているのではない」と,こちらに合わせてなんとかきっかけを作ろうと話が転がされていきます。
人との接触は,相撲の立ち合いと同じで気が合わないと成立しません。流れに逆らっても「待った」をかけないと,不十分な態勢で相手のペースに巻き込まれます。「身内に同業者がいるから」と,別の土俵にいることを伝えてお断りしています。
繁盛しているお店は,入り口が開放されているそうです。入りやすいということより,自由に出ることができることが大事です。大店舗が郊外に出来て集客していますが,便利さもさることながら,必要なものを購入するついでに見るだけが自由に楽しめます。
売る側はその「ついで」に工夫を凝らします。ついつい余計に買わされる羽目に陥りますが,押しつけられたという後味の悪さはありません。買い物について大事なことは,まず,出向くのはこちらの意志によるものでなければなりません。突然仕掛けられた買い物は,とりあえずは避けた方がいいようです。
ところで,量販店ではないお店に久しぶりに買い物に出かけると,無くなっていたり変わっていたりすることがたびたびです。ちょっと凝ったものは量販店には置いていないので,売っているお店を新しく探し出すのが大変です。とりあえずはハローページのご厄介になりますが,買い物がしづらくなった不便さも感じています。
ものの売り買いというのはタイミングが合ったときに成り立つものと再認識しています。
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