《一週の 始末に追われる 安息日》

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 休みの日は片づけが一仕事です。忙しがっている平日はモノを出して使ったらそのままにするので,部屋の中が散乱してきます。いちいち片づければいいのですが,ついつい後回しになります。時間に追われて生活していると,片づけに取られる時間は後戻りするような感じで,無駄な時間を費やすことになると思えるからです。暇なときに片づけようと考えることが浅はかなのでしょう。
 暇な時間ができたら読もうと買い込んだ本が積読(つんどく)状態です。明日の暇を当てにしても,今日の暇がとれないのですから,明日の暇もあるわけがありません。そんな簡単なことを考えていません。一日30分でも読み続ければいいのですが,何かしら時間を浪費しています。暇は自然にできるものではなく自分で作るものだとは分かってはいるのですが,そんな簡単なことが結構難しいものです。
 ちょっと値の張る買い物をするとき,何かをちょっと節約すれば何とかなるだろうと買ってしまいます。でも節約すべき何かはいつまでも相変わらずのままです。限られた財布の中でやりくりがつかなくなって,身動きがとれなくなっていきます。今日の借りを明日返せるという計算は,実世界では危険な賭けにすり替わるようです。
 明日は明日の風が吹くと言うことがありますが,明日は今日のこととは関係ないということです。今日を明日に持ち込もうとしても,それは無理のようです。良くも悪くもそのことを弁えておいた方が,心静かな暮らしを営むためにはよいことでしょう。
 人は明日に期待を持つから生きる意欲があふれてきます。しかし,明日は今日の負債を清算してはくれません。明日はいつも新しいままでやってきます。だからこそ,眠りから覚める明日の朝が楽しみに迎えられます。
 何かしら面倒なことを抱え込んだら,まず朝一番に片付けておくことです。昼からしようと先送りしたら,もうその日は別件に追いまくられる羽目になり,明日へと自動的に先延ばしになります。朝一番に片づけたら,その日一日が充実したように感じるから不思議です。
 一日の暮らしの後始末は特別のことがなければ10分前後の時間があれば済みます。「仕事キッチリ」というCMがありますが,「一日キッチリ」と暮らすようにすれば,明日を心おきなく待つことができます。後始末とは明日を迎える作法なのですが,まだまだ不調法が続きそうです。

(2001年03月18日号:No.50)