《うれしさは 五体の動き 目覚めさせ》

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 地域の子ども会育成会が主催している夏休みのラジオ体操が朝の6時30分に,子どもたちに付き合ってきました。今夏は21日の金曜日で終わりです。夏休みはまだ1週間残っているのに。終盤になると宿題に忙しいのかと考えても,早起きすればかえって好都合ですし,理由にはなりません。子ども会育成会の会長と話していると,気になることを聞きました。
 ある母親が,子どもを朝早く起こさなければならないことに難色を示しました。早く起こすと子どもが午前中ぼんやりとするというのです。早く寝せればいいのですが,勤めで帰りが遅くなるので,寝るのがどうしても遅くなるそうです。そのような事情もあるでしょう。なるべく早く寝るようにするという子どものしつけや,親自身の努力に向かわずに,ラジオ体操をしないようにという話に持っていこうとします。
 自分の都合で皆の行事の足を引っ張ろうとする,それが理解できません。参加できない事情があるなら,参加できないとだけいえばいいのです。あるいは,参加できるようにがんばりますということが普通でしょう。無理なことを押しつけることはいけないことであるという論理が,適応範囲を超えて持ち込まれています。ラジオ体操はどちらかといえば自由参加です。参加できるときに参加すればいいのです。全回出席という目標に向けて努力するという子どももいれば,事情がある中でどれほど出席したかということでも構いません。一人ひとりがそれぞれの意思で参加できる機会と受け止めればいいのです。
 皆で何かをしようというときに,できない理由を持ち出してくる人がいます。できない理由など挙げればきりがありません。どうすればできるかを考えるのが,人間に備わっている能力です。さらには,できる所までやってみるというチャレンジが,人間の生きる力です。それぞれが幾分かの努力をすればできるのですが,その努力をするということが他人には求められるのですが,自分に向かうことがありません。結局の所,できないように足を引っ張っているのは,努力しない自分であるということに気付きません。
 参加している子どもや大人のラジオ体操を見ていると,体操をしているというきりっとした姿が見えてきません。いかにも消化行動で,とりあえずすればいいといった風情です。少なくとも楽しんでいるという人は,ほんの一握りです。どうせするならキビキビしようといった覚悟がないのでは,折角の体操が大割引されてしまいます。運動の端々をきちっと決めて,メリハリのある動きをすれば気持ちが高揚するだけではなく,なにより身体が喜びます。
 ほんの10分ほどの体操で,行きがけはぎごちなかった足の運びが,帰りにはなめらかに動くのを感じます。身体の隅々までの筋肉を動かして目覚めさせたからでしょう。
 ラジオ体操をしたからといって,どんな効用がある,何の意味がある? そんなことを問う声もあります。自分が体操することの意味は他人に問うものではなく,自分に問うものです。理屈で答えようとしても中途半端でしょう。身体で感じることが必要だからです。してみれば分かる,それもいい加減なやり方ではなく,きっちりとやり抜いたときに分かるものです。

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(2009年08月23日号:No.491)