《うれしさは 大きな自然 受け止める》

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 今夏は日差しに恵まれませんでした。曇りや雨の日ばかりといった印象が残っています。お陰で酷暑という経験は数日でした。夏の日差しがないことは食物には辛いことかもしれません。必要なエネルギーを吸収できないようです。庭に植えたトマトの色づきがゆっくりしています。キュウリも黄色い花を付けた小さな実が伸び始めるのですが,途中で疲れているようです。
 地球の気候という大きな環境には,生き物は服従するしかありません。曇天から降り注ぐ大量の雨水に抗することもかなわず,ただ無事に通り過ぎる時を待って身を潜めるだけです。爪痕の大きさに呆然とするとき,自然の大きさを思い知らされます。そのことを記憶するから,人はこの地球上で住処を得てなんとか生きていくことができます。天災は忘れた頃にやってくる,それは自然を忘れたときに,無防備になることです。
 ヘリコプターによる鳥の目の風景に中に,斜面を走る高速道路が見えます。土塊がわずかにずるずると動いただけで,人の世の大動脈は寸断されます。重機といった見上げるような機械が集められて修復工事が進められますが,鳥の目にはそのがんばりが慎ましく映ります。その慎ましさの中に人は生きているということを,改めて気付かされます。地表のごくわずかな面を加工することが,大工事と思える小さな存在であるということです。
 人工的な空間に住み慣れていくと,自然を見るだけで,感じなくなります。暑いのが嫌だな,寒いのが嫌だな,そうして避けてばかりいると,自然に対する感性が萎縮していきます。暑いときは暑いとして汗を流し,寒いときは寒いと身を震わせることで,適応性が磨かれます。抗えない大きな世界の中にいる自分を発見することで,自分の位置感覚が研ぎ澄まされます。
 人は社会的な生き物ですが,その社会の捉え方が問題になります。人間社会しか見えていないと,チマチマした個性になりがちです。自然世界と共存している社会観が,人間性を大きくします。大地に立ち,大空を仰ぎ,大海原に望む,そんな気概を持っていたいものです。
 このような思いを抱いていけるのは,多分に男の感性でしょう。連れあいに話しても「そう」というだけの反応だと思われます。女性の感性は,人間中心になっているような所があります。母親として備わった感性かもしれません。だからこそ,二人合わせて一家族という形式が選ばれてきました。男と女という性別も自然が作り上げた動物的な条件です。性別という自然に逆らわずに,動く物としての自然に従い,命という自然を精一杯に燃やしていきたいものです。

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(2009年08月30日号:No.492)