《うれしさは ゆったり進む 暮らしぶり》

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 ある動物番組の中で,羊を高い所で歩かせようとした企画が放映されていました。幅15pの板をつないで,5mの高さに通路を組み上げていました。一頭の若い羊がごく自然にトコトコと歩いて登り,高い通路を歩いて行きます。行き止まりに着くと,そこで餌をもらった後,器用に方向転換して戻ります。
 自然の映像で,別の種類の羊が山岳地帯の崖の細道を走り回る姿を見たこともありますが,細い板しかない空間の中では,見ている方に緊張感があります。自分だったらと思うと,高所恐怖に襲われて,とても歩けないと思います。
 動物には,高い所にいる自分という意識がないのではとか,落ちたらどうなるかという仮想危険を感じる力がないのでは,といった憶測をするばかりです。足下の板との安心な関係さえあれば歩いて行ける,自然界の暮らしは単純な機能によって成立しています。樹上で生活している猿たちも,腕一本で天空の枝の間を渡り歩いています。考え想像する力はない方がいい,あればかえって危険だということでしょう。
 経験から学び多少の予見力が育まれると,行動が臆病になります。良くいえば,慎重になります。道があるから歩く。その単純さが自然です。所が,人は行動を起こす前に,この道はどこに続いているのか,どれほどの距離があるのか,途中は安全かなど,そういった確認が取れないと,ゴーサインが出せません。
 山があるから登る。その単純さが自然を楽しむことになります。しかし,自然は単純ですが,人にとって自然は完全に安全なものではありません。自然は人間に合わせてできあがっている世界ではないからです。大雨や崩落など,自然の摂理にしたがって単純な事象として起こっています。人は自然に適応し対処することによって,かろうじて生き延びています。そのために獲得された能力が予想能力です。
 高い所に行くことは危険であるという予見を発動するために,恐怖という感情の仕組みがあります。行動を抑制する機能です。高い所に上がる経験を繰り返して慣れてくると,高い所にある危険度が実状に合わせて縮小していきます。危険の種類と対処法,起こりうる確率などの知識が増えてくるにつれて,闇雲に怖がらなくても大丈夫という確信が生まれてきます。高所で作業をすることができる人は,危険を知り尽くしているのでしょう。
 何も考えずにあるがままに暮らしていると気楽です。あれやこれや思い煩えばきりがありません。起こったときに考えればいい,起こらないことに対してはすることは何もないのです。そうはいっても,なにがしかの予防をしておくことは必要です。慣れないことにはゆっくりと踏み出していけばいいのでしょう。急がなければ,危険の前兆を掴まえる余裕があります。そこで立ち止まって考えましょう。スピードの出し過ぎは危険を呼び込むだけです。

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(2009年09月06日号:No.493)