《うれしさは 無駄の中にも やさしさが》

Welcome to Bear's Home-Page
ホームページに戻ります

家庭の窓にリンクします! 家庭の窓

 海棠の細い木がブロック塀脇に生えています。毎年春になると花をいっぱいに付けて楽しませてくれていました。所が今年,土から2本生えているうちの1本が葉をすっかり落としてしまいました。特別に変わった変化があったということではないのですが,どうやら枯れたようです。2本の枝が絡み合って枝を伸ばしていましたが,塀の外に大きくはみ出している枯れ枝を切り落としました。ただ2本の長い枝は残しました。特別な訳はなく,あまりにさっぱりしすぎるような気がしたからです。
 夏になり,塀に隣接する田圃の上をトンボが飛ぶようになりました。ある日,ふっと気がつくと,海棠の枯れ枝にトンボが並んで止まっているのが目に飛び込んできました。休息の場になっているようです。

海棠の枝で休むトンボたちです
 晴れの日も雨の日も,どこからかやってきて,ガラス戸の目の前にある海棠にトンボが休む姿がありました。トンボが休む枝は決まっていて,そばにあるほかの葉のついた生きた枝には決してとまりません。トンボの単なる好みか,もっと切実な訳があるのか分かりませんが,枝の選択は意図的のようです。多いときは10数匹が並んでとまりますので混み合うため,隣の枝にもとまりますが,それでも枯れた枝に限られています。
 何気なく残しておいた枯れ枝ですが,トンボにとってはお気に入りになったようで,自然のおもしろさを見せてもらいました。海棠の枯れた枝は生きるという意味では終わってしまったのですが,自然界の中での存在意義は維持しています。お互いに依存しあっている関係は,枯れた枝でも枝である間は続いていくもののようです。枯れた枝は,庭木としては意味がないのかもしれません。しかし,自然の中では枯れた枝として,新しい意味を得たことになります。
 トンボが教えてくれた自然の優しい一面を,うれしく受け止めています。
 なお,写真にはめ込んでいる「飛ぶ棒も 筋トレするか ぶらさがり」は,風景の感想をある企画との関係で575調で書いたものです。

ご意見・ご感想はこちらへ

(2009年09月13日号:No.494)