《うれしさは 自分好みの 情報化》

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 パソコンのディスプレーの一隅に,ワンセグテレビの画面が映し出されています。滅多に現れることはないのですが,午後の時間に少し緩い気分の隙間ができたとき,サスペンス番組を選択しています。テレビの方は,連れ合いがいるときはチャンネルを持参しているので,番組を渡り歩いているようです。テレビの位置は背後になるので,音だけを聞かされています。そんなときは,ワンセグテレビの方はイヤホーン音声になりますが,実のところそんな場合はほとんどありません。それほど見たいという番組もありませんので。
 ケータイもワンセグテレビ機能がありますので,見ようと思えば見ることができるのですが,こちらも持ち腐れ状態です。小さな画面で見ることに慣れていないということと,ケータイを手にしている状態の時は別の行動をしているので,そんな閑はないということです。全く時代遅れになっています。
 いつしかテレビ離れが進んでいます。以前は結構視聴していたのですが,どういうことでしょう。一つは,内容がつまらなくなったということです。見ている方の意識の変化と,テレビの変化とがミスマッチしているようです。テレビが時代の表象なら,まさに時代において行かれているということになります。もう一つの理由は,コマーシャルによる寸断が鬱陶しくなったというこちらの事情です。以前に比べてやたらとCMに移るといった感じがします。ブツブツに途切れる映像は粗悪品です。番組は流れていくことで感動を呼び起こします。KYという省略を空気が読めないと読むようですが,番組が作り出そうとしている雰囲気を,番組が壊しています。KYを空気を読めと読みたくなります。
 ところで,テレビ局側には,CMを増やさなければならない事情があるのでしょう。視聴者はただで視聴しているのですから,仕方がありません。ただのソフトは試供品程度であり,本格的なソフトは身銭を切らなければなりません。そう考えると,テレビに期待をする方が間違っています。新聞に折り込まれているチラシ程度の受け止め方をすればいいのでしょう。もちろん,番組やチラシを出している方は真剣です。その苦労に報いたいとは思いますが・・・。
 かつて,テレビ番組をビデオテープに録画していました。でも最近は録画しなければという番組が見あたらなくなりました。テレビは一過性の情報機器になり,記録はネットの世界に移行しているようです。さらには,知りたい情報は検索という便利な機能で集めることができます。流れてくる情報を受け取るだけであった受け身の視聴者であったのが,今はディスプレーの中で能動的に探しに行けるようになりました。テレビは情報機器の一つに縮小しつつあるようで,その動きの中に飲み込まれようとしています。

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(2009年09月20日号:No.495)