《うれしさは 情報メタボを 避けること》

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 豊かさとは選ぶことであるとするなら,豊かな情報社会になっていると言うことができます。この先まだまだ技術の進歩が続くと,豊かさの度合いが膨張していきます。情報の格差ということが言われていますが,それは情報の処理能力の格差とも連動します。使いこなせる容量の格差です。
 豊かさには種類や分量の多寡もありますが,質を問うことも必要です。人との結びつきという面から情報の品質を測れば,情報量の多さは多人数との関係に依存することになり,一人ひとりとの関係の濃度は希薄になっていきます。例えば,世界の人とつながっている反面,身近な家族,夫婦や親子の関係は疎遠になります。世情の情報には詳しくなる反面,隣人のことには疎くなります。広く浅く拡散すること,それが情報社会に踏み込んでいる現在の矛盾です。
 ネットの世界での情報の先には人がいますが,ネット上だけの情報は一元的であり,得られる人物イメージも一面的です。人となりを判断する情報は現在のネット技術では実現できない多岐にわたるものでなければなりません。奥行きという深さを与える情報,それは時間を掛けて人の五感を通して得られるものです。行きずりの一見の人を信頼する方がまだましです。一見といえどもある程度の立体的な観測が可能だからです。
 ケータイメールに親しんでいる若者は,時間に構わずメール交換をしているようです。メールによってもたらされる情報量が少ないので,交換回数を増やすことで,情報量を増やさなければ相手に関する知見イメージが組み上げられないのです。しかし,人となりを知るために必要な情報量には遠く及びません。そこで,かなりの程度思い込みのイメージで補わなければなりません。そのために,実像とは違ったものになっていきます。やがて,イメージに食い違いが生じて,幻滅という結末を迎えることにもなります。
 旅の恥はかき捨てと言われてきたように,人との関係が希薄であるとき,人の心を包み込んでいる信頼という上着が脱ぎ捨てられます。関係の希薄さはその他大勢の中に埋没する効果をもたらします。隠蔽されているという錯覚にとらわれて,闇の心情がしみ出してきます。ネット犯罪が生まれるのは,情報社会と人間の本性が共鳴してしまう必然と思われます。
 過ぎたるは及ばざるがごとし。科学技術が作り出す人工的な環境は,生身の人間とは次元が違う世界です。最も簡単な事実を情報との接点に置いておく必要があります。人の脳はコンピューターではないので,視聴覚という感覚を通して情報が直結することは,肥大化した情報世界の中では危険です。
 食物を食べ過ぎたり,当たったりということがあるように,視聴覚情報も摂取には気をつけた方がいいようです。食は地産地消が勧められますが,情報についても地産地消の充実を疎かにしないようにしましょう。たぶん,余計なお世話でしょうが・・・。

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(2009年10月04日号:No.497)