家庭の窓
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「人事を尽くして天命を待つ」。この頃は聞かれなくなったようです。成せば成る,ということでしょうか? 人の力では及ばない部分が人の成すことの中にはあってはいけないということかもしれません。逆に言えば,できることしかしていないということになります。そうであるなら,人の成すことが小振りになったということです。管理が行き届いた世界の中では,確実性が重要になるからです。
大志を抱いて挑戦するという大それたことは,許されないことです。成しても成るかどうかをコントロールできない,そういうことには手を出さない,出せないのです。失敗すれば人生の道を外れるという恐れがあれば,できるところに踏みとどまらざるを得ません。人事を尽くさなくてもできることに抑えてしまいます。世界が高度につながっていると,未確定なことは入り込めません。成らない場合を織り込むのは,あまりにコスト負担が大きすぎるからです。
できるかどうか分からない,そんな仕事はいい加減な仕事として忌避されます。そんな社会に夢は無用です。夢に向かって人事を尽くす。結果は天命に任せる。確率が読めればまだしも,運任せでは,予定社会に馴染みません。いきおい,できてもできなくても社会には無関係なことに限定されます。成そうとした個人が結果を引き受けるだけで,負の結果も余人には及ばないからです。
実現できるかどうかを試してみるという余裕のある社会は,長い時間スパンで見ると,発展していく社会です。今現在の現実の中で確実なことに固執していると,ブレイクスルーは起こり得ません。安全確実な段階に止まるからです。
天命を待つということを言えば,人事を尽くしていないと思われるかもしれません。いわゆる努力が足りないという評価です。そういう風潮の中では,人は燃え尽きてしまいます。限界を弁える勇気が必要です。ただし,限界をどこに置くか,そういう難しい問題に直面することになります。そのことに悩むのは止めにしようというのが,天命を待つということでもあるようです。できるだけのことはした,そう思えばいい。後のことは天命に任せよう。
いい加減といえばそれまでですが,人には分からないことがあるという謙虚さと思えばいいのです。もし,まだ尽くし残していることがあれば,天命が指示してくれると思うことにする,そうするしかないのですから。人事を尽くしてきた古人が言い残してくれている言葉の重みに敬意を表しましょう。
経験したことのないことに取り組むとき,とりあえずできるところまでやってみるという気持ちを持ち続けたいものです。大抵のことは,誰かがしていることです。人にできるなら自分にも。もちろん,経験の差があることは承知で,ボチボチやっていけばいいと思うことにしています。あまり周りの人に迷惑にならないようにという自制は必要ですが,これくらいならと見極めていれば大丈夫でしょう。
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