家庭の窓
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「継続は力なり」。顔を上げると,額に入った文字が目に入ります。子どもが小学校を卒業するときに,校長先生から贈られた色紙です。深い意図はなく,なんとなく壁面が寂しいので,飾っているだけです。毎週日曜日にアップロードしてきたこのコラムが500号になりました。2000年4月12日に第1号をはじめて10年目を歩んでいます。このコラムの継続がどんな力なのか,特にこれといった自覚はありません。
時折尋ねられることがあります。「毎週よく書くことがありますね?」。出会う人と会話をしたり,テレビを見たり,本を読んだり,外に出かけたり,ぼんやりと風景を眺めたり,いろんな外界との触れ合いに対して,人は何かしらの反応をします。その反応をもう一人の自分が書き留めているだけです。今自分は何を感じているのか,何を考えているのか,その軌跡を言葉で描いている内に,コラムはここまでやってきたということです。書く種は尽きません。
もっともこのような個人の生きている軌跡が,余人にとってどの程度の関心を呼び起こすものであるかどうかは不確定です。おそらくネット空間の片隅に目も止まらないゴミ情報として埋もれていることでしょう。何の目的があってコラムを書き続けているのか? そう問われたら答えはただ一つです。「分かりません」。強いて言えば「書きたいから」と言うしかありません。今流行のブログの経験はありませんが,似たようなものかもしれません。
書きたいという気持ちの背後をのぞいてみると,今現在の自分の感性や思考の奥行きを確認する営みになっています。一つ一つ文章を書き連ねていくと,その文章の流れが,自分では思いも寄らない形の次の文章を引き寄せてくるのです。自分の中に隠れていた展開が掘り起こされてくるような気がして,それが楽しくて書いているようです。形式的には独り相撲なのですが,自分の分身ともいえる文章との対話をしている感じです。
若い頃から,謎かけが好きでした。「PTAと掛けて,破れたブラジャーと解きます。その心は時々チチがのぞきます」といった謎かけです。言葉の多重性を使った連想の飛びが面白いと感じてきました。文章を書いていると,謎かけと同じような連想が次から次へとつながっていきます。結果として,別のことに見えた物事が同じ思考のパターンによってつながっていく面白みを味わうことができます。起承転結という文章の基本は,転の部分が連想による転換に当たり,結は謎かけの心に相当して,同じ思考の中に入っていくという流れになります。
考える力とは,物事の本質を見極め,類似した事実群を見つけて分類する力です。コラムという短い文章を書く際には,一つの事実の理解に止まらず,似たような別の事実との連環を見つけて,その場に相応しい結論を導き出す力が求められます。別の事実という場所に自らの経験を置けば,新しい経験が古い経験とリンクして,思考回路がより精緻になっていくでしょう。物事を分かりたいという本能をくすぐるから,文章を書くことがうれしくなるのでしょう。
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