《大の字に くつろぐ広さ 一畳分》

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 いろいろなご案内が封書で届けられます。名前の字画が時折間違っていると,開封しないという頑固さはありませんが,興ざめです。もう一つ気になることは,住所書きが封筒の右端に小さな字でぴったりと寄せられていることです。今にもこぼれ落ちそうで落ち着きません。
 表の空白を納まりよく埋める書き方に気配りしてほしいものです。心理学の先生が相談者の心の状態を読むときに絵を描かせることがありますが,空間配置も大事な因子です。表書きの作法を心得ていれば,個人的な心の状態を相手に届けてしまうことはないでしょう。ありのままに自分を出すのがいいという風潮ですが,気遣いが求められる状況もあるはずです。
 連れ合いは部屋の使い方が平面型です。一言でいえば,広げてまわるということです。狭い家ですのですき間がなくなっていきます。片付けるために縦の空間を使おうとすると重ねなければなりませんが,そうするとモノの出し入れに呼び出されるようになります。夫婦が二人三脚で暮らしていける羽目になって,かえっていいことなのかもしれません。
 洋風と和風の部屋では空間の使い方が違うようです。洋室は家具調度が備え付けで,いつでも使える状態で,そのまま放っておけます。そのかわり,それぞれ専用の部屋が必要になります。和室は押入からものを出さねば始まらないし,終われば収納しなければなりません。そのかわり,いつも空いていますので,どのようにでも使い回せます。6畳一間が寝室,食堂,居間,仕事場と変幻自在です。
 和風の空間は生活の便利さもさることながら,畳の上で大の字になって寝ころぶ楽しみを与えてくれます。ものではなく人が空間を占有する感じがさわやかです。遊びに出かけて草原に出会うと,誰でも寝転がって大空と対面したくなります。周りを空間で包まれると落ち着けるようです。
 地下鉄の長椅子は端から詰まっていきます。片側でも人との壁を作って,仮想的な空間を空けようとします。もちろん混んでくればそこに人が立ちますが,座っている並びが途切れるので,落ち着くのでしょう。人との接触を強いられる都会生活では,真ん中ではなく端がお気に入りになります。
 いろんな調査によると,家ではトイレが落ち着く場所になっているそうです。狭い空間ですが壁に遮られて,隔離されます。家でも壁が要りような感覚を未だに持ち合わせていないのは,都会人になりきれない鈍重さだろうと自問しています。

(2001年03月25日号:No.51)