《うれしさは 五感を使う 暮らしぶり》

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 キンモクセイの香りが通りに漂っています。香りの元を探しながら歩いて行くと,家の並びに沿って次々と現れてきます。庭木として定番なのでしょうか。拙宅にも庭に植わっています。いい香りなのですが,「トイレの臭い」という人もいます。消臭芳香剤として使われているせいです。キンモクセイは毎年10月後半のこの時期にしか香りませんが,トイレの臭いは年中です。どうしても長期に嗅いでいる方に意識がなびいてします。
 自然を生活に取り入れているようで,実のところ自然から離れているという逆説です。食材も季節の旬が少なくなって,季節感という自然の情趣が薄れています。春夏秋冬のメリハリが消えて,身体に備わっているリズムが平板になっています。寒さを味わうから身体の発熱機能が高まり,暑さを味わうから身体の冷却機能が高まります。3歳までの季節感が,発熱と冷却の機能を目覚めさせてくれるそうです。
 空調の効いた環境に育つと,身体の体温調節機能,つまり寒ければ発熱し暑ければ冷却する機能が萎縮退化します。結果として,体温の変化を抑止できずに,低体温や高体温,さらには平熱を維持できずに変動する体温を持つようになります。恒温動物ではなくなって,変温動物に退化している兆候があるということです。春の花が咲くためには,一度低温を経験することが必要といわれますが,生き物は自然環境に対応できる機能が授けられているということです。
 失敗することが成功への扉であるというのも,生き物としての機能発揮に適っているからです。平穏無事が望ましいと思ってしまいますが,精一杯生きようとすると,苦楽や悲喜こもごもという変動のリズムが不可欠になっているようです。人には機能快があるといわれています。持ち合わせている機能を発揮することが快感になるということです。平穏無事な暮らしでは,機能を使わずに済ませることになり,機能快はありません。
 昔の人は苦労は買ってでもしろと言っています。自分の機能を発揮することが,人としての本来の姿であると言いたかったのでしょう。寒さに震え暑さに汗を流すとき,生きようとする活力がみなぎり,生きていることを実感することができます。困難に直面することで経験を総動員して難局を乗り越える喜びが手に入ります。生きるということは,適応力を磨いていくことです。
 自然を征服して人工的な環境に身を置くようになって,人は身体的な機能を退化させています。身体の機能を低下させていけば,身体を統御しているはずの神経系が貧弱になり,そのシステムによって産み出される知力も粗雑になっていくのは必然です。洗練された人格が見あたらなくなってきたのも宜なるかなと案じられます。人工的な暮らしもほどほどにしておくことがよろしいのではないか,そんなことを考えながら,足下の冷たさを感じている昨今です。

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(2009年11月08日号:No.502)