《うれしさは 平素な身なり 事足りて》

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 ブランドの品物が高い割引率で売られている軽井沢の店舗について報道している番組がありました。安く購入できるというので行列ができています。見ていて何か違うのではという思いがしていました。
 何だろうと考えてみると,ブランドと安売りというミスマッチです。安売りされたブランドとなります。値引きされたブランドの品物を持っていて,はたして真っ当なブランド感覚が持てるのかという疑問です。
 確かに安く買うことができればお得でしょう。でも,「ブランドという価値も下がってしまうのでは?」と思うのは変でしょうか。もちろん価格の中身を分析して,円高や流通経費の削減などによる割引と考えると,ブランド品本体の出荷価格が低下していることにはならず,ブランド品そのものが値引きされていることにはならないという理屈もあるでしょう。今流行の,購入者側から見た無駄を省くということです。
 ブランド品の出荷価格ということまで考えていくと,それは丸裸のブランド品になります。流通コストという衣装をそれなりにまとっていてこそ,盛装した品物になるのではないかとも思います。美しい鳥が羽毛をむしられたら惨めな出で立ちになるのと同じではないか,そんな類推をしてしまいます。ブランド品が売られている店舗の佇まいもそれなりの構えを備えるとすれば,その経費もコストに反映するということもあります。
 いろんなものがそれなりのふさわしさを持って関わっているもの,それがブランド品の真価ではないかと思います。このことは,ブランド品を使う側にも関わってくるはずです。ブランド品が似合うかどうかということです。ブランド品を持ったりまとったりするだけで,それを使いこなしていることにはなりません。例えば,立ち居振る舞いや会話の有り様が似合っているかということです。嫌みではなくて,ブランド品というものは似合うかどうかという必須の条件を求めてくる品物だからです。
 この身にはブランド品が似合うはずもないと思っているので,全く関心がありません。当然のことで,ブランドの名前など知るよしもありません。○○と見せられても,それで?という感想だけです。人様がブランド品をどのように思っておられても構いません。ただ,自分の感想を整理してみただけですので,論じたという大層なものではありません。おそらく,二度と考えることもないアイテムです。
 ブランドを必要とする暮らしぶりをしていないので,仕方がありません。着るもの,食べるもの,持つもの,使うもの,用が足せればそれで十分という物差ししか持ち合わせていません。それで何が楽しいのかと思われるでしょうが,ものへのこだわりのないことで,心穏やかに暮らしています。

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(2009年12月06日号:No.506)