《うれしさは 仕草に込める 思いあり》

 
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 たまたま音楽の演奏会の番組をテレビで見ているときです。演奏が終わった後の拍手のシーンで考えてしまいました。指揮者が何度も出入りをしています。アンコールの演奏を求めている拍手のように思われましたが,結局演奏は行われませんでした。楽団員が起立して退場しているシーンで終わりました。
 拍手の意味は何かという問が浮かんでいました。素晴らしい演奏であったという讃辞,感動を与えてもらったという感謝,楽しいひとときをありがとうという謝辞,もう一度演奏をお願いしたいという願望,どういう気持ちの拍手なのでしょう。どれということではなく,すべてが合わさった意味であるというところが正直な気持ちでしょうか。
 演奏会に限らず,講演会でも拍手があります。大方の講演会では,とりあえずありがとうというお礼の拍手でしょう。それは拍手がすぐに止むことからもうかがうことができます。あっさりと終わります。司会者から再度お礼の拍手を求められることもあります。もしも講演会でもアンコールという習慣ができたらどうなのかな・・・と,不意に思ったりします。
 公開討議の場面では,誰かの意見発表に対して拍手が起こることがあります。よく言ってくれたという賛意の拍手です。拍手の量によって,意見の広がりの程度が見えてきます。また,協議の裁決をするとき,挙手ではなく,拍手で承認の意を問うということもあります。必ずしもすべての参会者が拍手をするわけではありませんが,大方の賛意は得られたという暗黙の了解があります。
 スポーツの試合の場面では,ファインプレーに対して拍手が起こります。ときには,相手チームのものであっても,拍手が贈られます。スポーツマンシップにしたがって,賞賛の気持ちが発露するのでしょう。清々しいものです。マラソンのような競技の際,最後尾の競技者に対して拍手で迎えるという場面もあります。よく頑張りましたという励ましの意味でしょう。
 拍手は間接的,婉曲的な意見表明です。直接に向き合えば,言葉で伝えることができますが,物理的,心理的に距離がある場合のコミュニケーションとして使われています。意見表明の基本がイエスかノーかであるとすれば,拍手は積極的イエスの表明になります。形としては無拍手はノーということになるかもしれませんが,そこまでの意味はないように思われます。
 拍手に似たもので柏手があります。神社や神棚に向かって行う神拝作法があり,故事来歴があるようですが,現在は二拝二拍手一拝とされています。手を叩くのは,眠っている神様を起こして願いを聞いてもらうためといわれますが,神様を勝手に起こすのは恐れ多いような気もします。また,拝とは礼とは違って,90度に曲げることだそうです。詳しくは,ネット検索すれば,情報があれこれ得られるようです。因みに,柏手は拍手を間違えて読んでことからともいわれているようですが,ここでは伝聞に止めておきます。
 拍手について普段考えることもありませんでしたが,その形は古人の思いを引き継いでいることは確かです。暮らしの中にある手を叩くという仕草を気にとめておくことにしましょう。

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(2009年12月20日号:No.508)