家庭の窓
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コラムをホームページ上に毎週日曜日掲載しはじめて1年が過ぎました。年頭の1週を休止しただけの公開でしたが,締切に追いまくられて,あっという間でした。リビング北九州紙に4年間掲載してもらったコラムを含めると,このコラムは通算225編目に当たります。
書いているときに「これについては前に書いたな」と思うときはボツにしますが,そういうケースがたびたびありました。一人の人間が目につける事柄とは案外に狭いものと実感しています。長寿番組の「サザエさん」や「水戸黄門」の脚本を書く人たちの苦労がちょっぴり分かります。
身のまわりの暮らしから話題を拾い上げるのは簡単なようですが,平凡な繰り返しで変化がないだけにすぐに品切れして結構苦労します。そのお陰で感覚を研ぎすますことを学びました。何気なく見過ごしていることに着目すると,タケノコ探しのように面白いものを掘り出せることがあります。
どうしても目を向けてしまうのが,我が家のサザエさんです。それとなく観察し,何か書けそうなことを見つけたら,そっとメモしておきます。そのほかに街で偶然見かけた光景,新聞やテレビからの気になる情報などもメモしておきます。それらがすべてコラムにつながるかというと,残念ながらそうは問屋がおろしません。コラムの枠にちょうど収まるかどうかという厳しい条件があるからです。
何かについて書くときには,前後の状況説明やいわゆる起承転結を整える必要があります。話せば長いことながら,というものはどうしてもボツになります。もちろん,一言で言い終わるようなものも不採用です。短いコラムながらも,チャンとした一つの流れを込められないと,読むに耐えられるものにはなりませんし,何よりも書いていて楽しくありません。
この楽しむということがくせ者です。見聞きしたことから面白いものを選んで書くだけなら,ただのレポートです。見聞した事柄が自分から何を引き出したか,自分の何と共鳴したかを探ることによって,自己発見できる楽しみがあります。そのプロセスを読者の方と共有できたら,成功なのですが?
テレビの番組改編期になるとNG集などで番組の裏側を垣間見せることが流行りました。それに倣ってコラムの裏側を一度のぞいてみることにしましたが,どうにもまとまりがつかないようです。
食事を楽しませるときには調理場をのぞかせるものではないといわれますが,料理に限らず当たっているような気がしています。 〜このコラムは読まないでください(エイプリルフール?)。
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