家庭の窓
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あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
平成21年度の漢字は,応募者の8.73%を占めた「新」が選ばれたそうです。9%弱の割合で選ばれるとは少ない感じがしないでもありません。漢字数は8万字から10万字といわれているようですが,1981年に公布された常用漢字表には1945字あるそうです。常用漢字が均等に選ばれるとすると,1字当たり0.05%ですから,8.73%はほぼ170倍になります。だからどうということは言いませんが,1割以下の数字で選ばれる場合もあり得ると考えておきましょう。
因みに,平成7年からの漢字は,
「震,食,倒,毒,末,金,戦,帰,虎,災,愛,命,偽,変,新」
です。漢字の並びを眺めながらそれぞれの年を思い起こしていくと,世間の暗い事象が強く印象づけられているように感じます。
情報社会では,地球上で起こる暗い側面が個人の気持ちにまで伝えられます。日々伝えられるニュースの大半は暗いものです。どうしても暗い世間という情報の波に飲み込まれてしまいます。今年一年を振り返っても,世間について知っていることは暗いことが圧倒的です。
国際化した暮らしは世界とつながっているために,どこかでほころびがあると,その影響は広範囲になり,市井の一個人であっても少なからず影響を受けてしまいます。情報化や国際化は,危機管理という面では,きわめて脆弱なシステムを目指しているのではないでしょうか。
一極集中は効率的ですが,一方で危険度を集中しています。ホストコンピューターの不具合で,広範なシステムがダウンします。国際的な移動が病気の伝染を促進します。便利であることは,危険を受け入れることです。過ぎたるは及ばざるがごとしという言葉を思い出しています。どんなに良いことでも,過ぎれば悪いことにつながります。人が御すことのできる社会には,適正な規模があるはずです。集中的なシステムよりも分散型のシステムの方が人の能力範囲に収まる理に適っていると思われます。
世相につながる漢字から見えてくるのは,人為的な暗さもあります。つながりに込められる思いが,片寄っているようです。人のつながりに温もりが薄くなっています。買い物にしても,どこの誰が作ったモノか分からないし,誰が持ってきて販売しているのかも分からず,棚から取ってきてレジで精算するだけです。その間,人としてのつながりは入り込めません。レジで並んでいるとき,前の人がたくさん買い物をしていたり,支払いに手間取っていると,つい無言で悪態をついてしまいます。
知らない人はいない方がいい,邪魔になる人はいてもらいたくないと,かなり自分勝手な思いを持ちます。もしも知っている人なら,仕方がないと許しの気持ちが出てくるはずです。生活圏が広くなったために,人のつながりは冷めたものになっています。ちょっとしたことで,暴発しかねません。通りすがりの人に対して,気遣いをするなど無用のことになり,歩道を自転車で勢いよく走り抜けていきます。私が,俺がという思いだけで生きていると,お互いにお互いを迷惑な存在と見なすほかなくなります。
人のつながりを考えるとき,一期一会という言葉が思い浮かびます。茶会の心得として言い伝えられている言葉で,一生に一度の出会いに誠意を尽くすことを意味しています。もう二度と会うこともない人に対しても,誠意を持って対応する,それだけのことですが,その気持ちが社会に温もりを与えてきました。
人のつながりは利用するもの,利用されるのはごめんという思いは非社会性であり,現在の世相に底流するものとなっています。人をそのように仕向けたのは,社会規模が大きくなりすぎたことです。人は器に合わせて生きているにすぎません。
現在の社会を都市化というキーワードで表現するなら,養老氏が力説しているように人の脳が描き出した設計世界と考えることができます。脳が思考する世界では,特に意識をしないと,生身の人間の許容限度が想定されていません。どちらかといえば,人を排除する,従属させる傾向があります。
電化製品が自動になっていくことが,その現れです。人の判断や操作を省いているのは,便利さに向かっているようですが,実は人の関与を恐れているからです。人と共存することは,苦手なのです。そのような都市化社会が人に優しいはずがない,そう思い始めています。
年頭に当たって,身近な世界を自分の世界にできるように意識していきたいと考えています。
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