《しあわせは 時計と共に 過ごすとき》

 
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 昨年の暮れに入る前,風呂場のタイルを磨いている際に,少し無理な形でかがみ込んでいて,腰を痛めてしまいました。その後,暮れの大掃除に突入し,かばいながらの動きでした。正月のゆったりとした時の流れで静養をして,ゆっくりですが回復をしています。若くないということは,身体の新陳代謝がゆっくりとしていることであると体感させられます。今週から非常勤の講義も始まり,いくつかの委員活動も始まり,いつものペースに戻ります。
 忙中閑ありといわれています。その反動として,閑なときはあれこれしておこうと忙しくしたくなります。しかし,忙しさのリズムを自ら作り出すことは至難のようです。今日一日何をしたかと寝る前に振り返ると,思い当たることがありません。どれから片付けようかぼんやりと考えて日が暮れていきます。忙中は,期限に急かされて集中しますので,確実に事が捗っていきます。そういうパターンに慣れてしまっているようです。
 年末は正月の用意でバタバタしたので,年始はゆったりと過ごそうと思っていました。読書でもと考えないでもなかったのですが,実のところ,日々の暮らしのあれこれに時間を取られました。生きる営みは日々決まっているので,平日と変わりなく手を取られます。あくせく生きているというのは,結構忙しいものです。居候であれば,ゴロゴロしていてもいいのでしょうが,所帯の暮らしを維持する事に手抜きはできません。もちろん公職は休みなので,その時間が空いているはずですが,空いていると意識していなかったことが,時間を見失うことにつながったようです。
 時間をつかむというのは難しいものと今更ながら気がついています。時間ごとのタイムスケジュールを決める事が大事です。例えば,「今日は○○時から会議」という予定が入っていると,なんとなく一日の時間配分が決まっていきます。予定がないとダラダラと時間を失うことになります。前日に,明日の午前は,午後はと何らかの予定を組み込めば,自分の時間を手に入れることができたはずです。明日は何をしようか,それを考えなくなったとき,生きている時間が消えていきます。
 ベンジャミン・フランクリンの13の徳目があります。その6は,「勤勉:時間を無駄にしないこと。有益な仕事に常に従事すること。必要のない行為はすべて切り捨てること」とあります。勝手に過ぎていく時間をつかむためには,つかむ意志が必要です。それともう一つ,何時という時刻とその意志を結びつけることが不可欠なのです。時刻に結びつけないと,引っかかりがなくて,時間はスルスルと滑っていきます。予定,その大事さを再確認しておきましょう。もちろん,どんなことを予定とするのか,その選択も慎重にすべきです。
 年頭に当たって,今年は何をするか,抱負を考えることが世の習いでしょう。その次に考えるべきことは,予定です。今日何をするか,今週何をするか,今月何をするかという細かな日程表を作らないと,抱負は時間に載りません。時間を抑えることができる人が,いわゆる「できる人」となります。ただ普通は,仕事をしていると,仕事上のスケジュールが押し寄せてきますので,自分で考える必要はありません。ただし,個人としての抱負を達成したいなら,自前のスケジュールを作り上げなければなりません。
 この一週間の間にやり遂げようと考えていることがあります。一日の中で半時間でも手掛けていくつもりです。もちろん,このコラムを含めて,いくつかの文章作成が,予定もされています。忙しい時間の追跡に入っていきます。

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(2010年01月10日号:No.511)