《慎みは 自分に向ける 他人の目》

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 この4月から隣組の組長に就きました。転入の年順なので嫌も応もありません。組の規模は160世帯ですが,97世帯はいわゆる借家であり,独身者アパートです。独身の住人は隣組活動には全く無関心で,前任者の話では,夜に訪ねていくと明かりが消されて音無の構えに潜むそうです。組費などは家賃に組み込まれており不動産屋さんから入金されていますので特に支障はないのですが,隣組の中にブラックホールがあるような異様な佇まいです。
 地域の中に雑草がはびこるよりも,きれいに刈り込んだ暮らしぶりが誰しも好きでしょう。雑草といえども名はあるはずです。しかし自分の名を名乗ろうとしなければ,人からは雑草扱いをされることになります。通勤などで地域を歩くのなら毎日出会って挨拶するということもあるでしょうが,車に乗っていては顔見知りになるチャンスはありません。
 若いときにアパート暮らしをしていましたが,同じアパート内でも数軒としか行き来がありませんでした。ましてや地域とのつながりなど思いの外でした。誰も知らないし,知り合うこともなく,なんの必要性も無いものですから,無理もありません。数年経てば出ていくのですから,仮の住まいなのです。地域とは永住するつもりでなければ,実体を持たないもののようです。
 組長に新年度の宿題が出されました。道路にはみ出している植木の刈り込みを要請することです。田舎の道は狭く,車1台の幅しかありません。歩いていて車とすれ違うとき,道にせり出した植木が邪魔になり恐い思いをします。宿題は曲がり角の植木で,車体をこするので何とかして欲しいということです。ブロック塀が道際いっぱい,植木は塀に張り付いているので,枝はどうしても道の上にはみ出してきます。
 人様に迷惑を掛けない暮らしはまだ生きていると思いますが,今は少し様変わりをしています。わざと迷惑を掛けようとは思っていなければ,それが迷惑を掛けない暮らしであるということのようです。自覚していなければ,気がつかなければいいということです。その気のゆるみが高じてくると,公共の道に少しぐらいはみ出したところで誰にも迷惑は掛けないだろうという横着さがはびこります。
 気がつかないところで迷惑を掛けているかもしれないという気配りができなくなっています。迷惑とは人様が思うことですから,他人の目で自らの守備範囲に目配りしなければなりません。一歩出るよりも一歩引く方を選べば,もっと和やかになれるのですが,その伝統は消え去ろうとしています。

(2001年04月08日号:No.53)