《しあわせは 一つ一つの 積み重ね》

 
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 いくつかの組織に属し,関係する機関等と付き合っていると,そこここの長という名のつく方々に出会うことが多くなります。いろんなタイプの人がいることに直面して,面食らうこともあります。組織活動に関する話題になったとき,鳴かぬホトトギスは殺すタイプ,無理にでも鳴かせるタイプ,鳴くまで待つタイプと括ることができます。タイプが違う人と話していると,話の落としどころに困ってしまい,曖昧な受け答えになります。
 長という看板を背負っていると,鳴かぬホトトギスは歯がゆく思われます。いっそいない方がいいとしてリセットしたくなります。分からないではないですが,誰もついていかなくなり、結局は裏切られることになりそうです。あれこれ手管を使って鳴かせることができるかもしれません。ホトトギスは鳴かせられているというだけで,疲れて長続きしないでしょう。ホトトギスが鳴きたくなるまで待つというのは,とても我慢する必要があり,長としてはじれったいことでしょう。
 人を動かすためには,恐れに屈服させるか,うまく載せてしまうか,その気になるまで任せるか,という3つのステップが想定できます。この順で実行に至る時間短縮が可能であり,効率的です。一方で,ホトトギスの立場はこの順でないがしろにされています。組織目的のためだけを考えると,早期実行にこそ価値を置くことも大切です。個よりも組織優先ということです。しかし,組織だから目的は皆同じということにはなりません。個を優先することで組織の活性をもたらすことを目指す場合もあります。長は自分の組織がどのような組織目的を持っているのか,まずきちんと認知しておかなければなりません。
 専門に特化した組織にはそれなりのトップがいるのですが,寄り合い所帯的な組織になると,長となる人が過去の経験した組織のやり方を引きずることがあります。その際に,不適応が起こります。本人が自分の不適応を自覚すればいいのですが,周りの不適応と考えると,組織はごたつくことになります。長としてはいつも指導という意識がつきまといますが,組織に命令系統が機能している場合にのみ有効です。話し合いを基盤とする組織では,命令的な言動は馴染みません。個の考えを封じることになるからです。
 ある寄り合い所帯的な組織の長に、その方面の専門家が長として選出されます。詳しい人に組織の運営を任せることはごく自然なことです。ところが,組織としての活動に専門家としての手法を取り込もうとすると,メンバーはついていけなくなります。求められるレベルが高くて,適応する力量が備わっていないからです。組織の力を見極めることが、長として先ずやらなければならないことです。こうあるべきだという目的を持つことは必要ですが,実践活動に際しては,メンバーにできることは何かをきちんと押さえておかないと,長としての役目は務まりません。
 どのような組織活動でも,定常的なもので済ませているわけにはいきません。常に新しいことに挑み続けなければ,衰退していきます。メンバーにとってはある程度のプレッシャーが掛かりますが,それを乗り越えていくからこそ充実感がもたらされます。その新規な1歩を組織に導入することが長という方の役割です。長としては3歩先を見ていますが,実現するためには段階を踏むという計画を描くことが求められます。長としての心得として,「急がず慌てず当てにせず」という言葉があります。深謀遠慮に務めるようにするということになりますが,難しいことです。
 他人のあれこれは岡目八目で見えるのですが,それを自分に向けることは至難の業です。組織の運営にかかわるときには,意識して自制するようにしたいものです。会議などで出てくる意見は,到達すべき目標に関するものが多いようですが,現状からの距離を見過ごしにしています。いわゆる正論ですが実現は困難という意見です。現状を起点にした結論になるように調整することが,長としての決断になります。言うは易く行うは難し,その苦渋の選択をしてみせる勇気を持ちたいものです。

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(2010年03月14日号:No.520)