《ちょっとだけ がんばる先に 花の道》

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 見舞いに訪れた病院の玄関脇に「みんなの花壇」と看板が掲げられている一隅があります。花壇の外側には数輪のチューリップが美しい花を開いていますが,内側は緑いっぱいにぼうぼうとしています。草が渦巻いているのです。看板の字が褪せて寂しそうです。
 病院の会議で誰かが思いついて提案し,賛同が得られて実現した花壇なのでしょう。発想は心豊かなのですが,それを維持する人手が確保できなかったようです。入院患者さんのリハビリを兼ねてという胸算用もあったでしょう。はじめは花に埋め尽くされたことでしょうが,人が替わり,関心も移り,忙しい中でつい後回しにしているうちに,手がつけられなくなっていった状況が想像されます。
 季候が良くなり,ちょっと暇ができると,寂しい庭に花でも植えてみたくなります。苗を植え付けて水やりをし花を見てご満悦ですが,花が枯れる頃には熱情も冷めていきます。いつの間にか元のわびしい庭に戻っています。似たような三日坊主の後悔をいろんな場面で何度繰り返しても,反省から先には進めない弱さが抜けません。
 よいことをはじめるのは簡単です。難しいのはやりかけたことを育てることです。「継続は力なり」と色紙にも書かれますが,実感としては,力がなければ継続できないようです。くじけそうになるときに,「がんばれ」と応援されます。「とりあえずもう少しだけ継続してみたら。止めるのはいつでもできるから」と自分に言い聞かせることにしています。
 ところで,興味を持ってはじめても,その興味が薄れる場合があります。やっているうちに面白みが湧いてくれば関心は持続できますが,困ったことに面白みはある期間継続していなければ得られません。すなわち止めようかなと思ったときに止めずに,もうちょっとがんばってみようと続けなければなりません。じわっと面白みが出てきます。ご飯と同じで,しばらくは味はありませんが,噛んでいるうちに甘くなってくるようなものです。
 連れ合いとのつきあいも似ています。熱情で結ばれて,飽きてきて,もうちょっと一緒に暮らしていれば,やがて二人連れの甘みが出てきます。さらに空気のような間柄になりますが,気持ちを澄ませて連れ添い続ければ,そばにいるだけで安心することに気づくようになります。ただ,そのことに気づかないと連れ合いを失ったときに後悔することでしょう。この安らぎの心境は連れ合いとの共同作業です。

(2001年04月15日号:No.54)