家庭の窓
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表彰状や感謝状,あるいは卒業証書などを受け取るとき,複数の場合,2人目以降は名前を読んで「以下同文」と続きます。時間の短縮のためでしょうが,以下同文では,受ける方としては少しばかり晴れがましさが薄れます。特定の個人としての丁重度の問題です。あなただからという思いが伝わらないのです。もちろん,渡す方にしても,そのことは心苦しく感じているはずです。本来であれば,一人ひとりに完全な形で渡したいのですが,都合によりということで,仕方がないと了解してもらっているということです。
感謝状を伝達する際は,以下同文の前に,さすがに名前は省きません。あなたに対してという形式は一応踏まれています。名前を呼ばれても,あなたに対する感謝の言葉が以下同文の省略によって抜け落ちるのは事実です。同文ですよと言っている理屈は分かりますが,気持ちの伝達ということにこだわれば中途半端なのです。
数人程度の時には,すべてきちんと読み上げることもあります。しかし,以下同文のところを読む口調が早口になっています。少しでも時間を短縮したいということでしょう。セレモニーとしての全体の時間が限られているという事情は分かりますが,もっとゆったりとできないものか思うこともあります。
忙しくて時間がないことを理由に,心を込めた応対ができないことはままあります。ただ,大事な人に対しては,忙しさを削減しても,ゆったりと対応しなければなりません。以下同文と似たような素っ気ないことをしていると,つながりはその他大勢のものでしかなくなります。例えば,家庭の中で,世話を受けたら,ありがとうという言葉の感謝状をあなたに向けてきちんと差し出すようにしたいものです。いつものことだとして何も言わずに受け取ってばかりいると,世話をするのは私でなくてもいいと思われているというメッセージが伝わります。
車で走っていると,たくさんの車の流れに乗ります。どれもこれも同じにしか思われず,わずかに事故を起こしたくないからというだけの思いで,安全運転をします。もし前後の車に乗っている人があの人だと分かっていると,安全運転の度合いはことさらに高まるでしょう。あの人と以下同文の人とは,思い入れが全く違ってきます。歩行者に対しても,知っている人に対しては,より優しくなれるはずです。そのことを自覚すれば,以下同文の人にもあの人と思ってくれている人がいるはずだと気がつくはずです。
以下同文という場面は,普通には滅多に出会うことではないので,それほど目くじらを立てることもありませんが,似たような状況は普通の暮らしに現れることがあるので,気配りを忘れないようにしたいものです。その他大勢ではなく,あなただから。それが気配りをする第一歩でしょう。
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