《しあわせは 本読むときの 意外性》

 
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 たまの短い空き時間に本を読むことがあります。小説の類は最近はご無沙汰して,人間関係に関するものが中心になっています。今更そんな本をとも思いますが,執筆者の人間観がどのように説明されているのか,関心があります。いろんな事象から真実を抽出して,主張を展開していますが,なるほどと思うことや頭をかしげるようなことがあって,楽しいものです。
 空き時間が不定期なので,読んだところを忘れてしまい,読み返さなくてはならないこともあって,読み終わるのに暇が掛かります。昔はこまめにメモを取っていたのですが,最近は,いいことを書いているなと思っても読みっぱなしになっています。いい話に出会うことだけを楽しんでいるという風情です。
 いい話といっても,具体的なエピソード風の話ではなく,論説としての美しさのある話です。物事の有り様を解き明かす見事さです。人が作り出す社会の中で,何かが起こるとき,その道筋を見つけることによって,安心したいという欲求が人にはあるはずです。単なる因果関係ではなく,縁が絡んで報が伴うという総合的な考察をしたいと願っています。物事が起こるためには,様々な要因や前提が複雑に絡み合っているはずです。その緻密な分類があって,さらに統合の図式化ができれば,腑に落ちる理解が一段と進むことでしょう。
 筋立てが整然としていると,気持ちよく導かれていきます。そのときに,逆に辿ってみると,見えていなかったことが見つかります。立て板に水を流すようにという表現がありますが,流れを逆に辿るのです。さかのぼっていくと,必ず分かれ道があるはずです。あたかも一つに見える流れであっても幾筋かの流れが寄り添って合流します。小さな支流であっても,もしもその水が濁っていたら,全体が濁ってしまいます。真っ直ぐに流れていると思っても,実はいつの間にか合流してくる流れがあります。それが分かるのは,逆を辿ることです。昔からいわれている,逆は必ずしも真ならずということです。
 物事を説明するときの論理の流れに無理がないように見えているから,十分に解き明かされているということにはなりません。AだからCとなることが明らかであっても,BだからCとなることもあるのです。さらには,AだからCになるのは,Dという状況の時であるといった条件もあり得ます。そのような可能性をすべて把握することは不可能です。大筋での理解しかできないという背景があるので,たくさんの本がああだこうだという説明を書き出しています。一部の真実と思って読んでいないと,物事を見誤ることになります。
 本を読むということは,自らの思い込みとは異なるものがあることを知ることによって,補足・修正をしていく楽しみを与えてくれます。知らなかったこと,見えていなかったこと,分かっていなかったことなど,意外性に接して,自らの無知を一つ一つ解消できていると感じるのは幸せなことです。

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(2010年05月30日号:No.531)