《しあわせは リズムに乗って やってくる》

 
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家庭の窓にリンクします! 家庭の窓

 田舎住まいであった子どもの頃,階段といえばお宮の階段ぐらいでした。今はどこも都会化が進み,建物が階層化され,階段が増えてきました。用事で出かけると施設の階段にさしかかり,上っていきます。不思議な癖が付いていて,上り階段は数えています。下り階段は数えません。よく2段ずつ上っていきますが,そのときも数えます。3階までならエレベーターがあっても階段を使います。2階までの階段数と2階から3階までの階段数が違っていることがあります。2階までが1,2段多くなっています。数えているからといって,特別に目的があるわけではないので,記録を取ることはしていません。ただ同じ行動を繰り返すようなときには,数えたくなるだけで,数え終わるとすぐに忘れていきます。
 学生に配るプリントを印刷しているとき,一定のリズムで印刷機が音を立てながら紙を吐き出してきます。ぼんやりと待っている間,リズムを数えています。枚数は印刷前にセットしているので,数える必要はありません。表示される残り枚数と数えている枚数を足して,セットした枚数になることを確かめて楽しんでいます。身近に起こっているリズムに同調しようということから,数えるという行為をしているようです。反応していることによって環境にアクセスしている気になるのかもしれません。
 人は心臓の鼓動によって生かされています。普段は全く意識していませんが,人は生きるリズムを内蔵しています。トン・トン・トンという一定の間隔で繰り返される体内リズムがあるから,外界にあるリズムを受け入れることが気持ちよいことになります。生きていることを喜ぶことができます。イチ・ニー・サンと数える行為はリズムを刻むことに符合します。階段を上りながら数を数えても,その数値に意味を持たせることをしていない習性は,単にリズムを楽しんでいると考えることができます。
 周りに反応していないとき,いわゆるぼんやりとしているときですが,あくびが出て眠くなります。講義や会議などで話しているときは,自分の中にあるストーリーに沿って言葉を爪弾いているので,発声のリズムがあります。話をする間合いに「あー」などの音を挟みますが,リズムを取るために必要になります。一方,話を聞く立場になると,響いてこないときは,眠たくなります。普通には,内容に対して関心がないときですが,リズムがない場合もあります。
 メリハリを付けるということがあります。ダラダラとした態度に苛ついてしまうのも,リズムがないせいだと思えば,納得することができます。生きているという反応が感じられないので,不安になるのかもしれません。リズムは基本的には単調ですが,一定の区切りが入ることでアクセントが付くと,ふくらみが現れます。太鼓の演奏を聞くと,明確なメッセージがあるわけでもないのですが,その華やかな調子に身体が反応してしまいます。理解するのではなく,感応しています。
 情報といえば何らかのメッセージが主体ですが,リズムという要素も組み込まれないと,生きた情報にならないように思います。頭だけではなく身体全体が反応するものを大事にしたいものです。

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(2010年08月01日号:No.540)