《しあわせは こだわり抑え 豹変し》

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 言葉が伝わらないという場面があります。国会の予算委員会の中継を見ていると,現下の政治課題について素人の感想でしかありませんが,質問と答弁が噛み合っていません。質問がイエスかノーかを問いかけているのに,それに直接は答えず,状況説明に終始します。子どもが親に言い訳をしている姿と重なります。直接に答えると弱みがあぶり出されるという懸念があるのでしょうか。話を逸らしている風の答弁を聞いていると,かえって疑念をうかがわせます。討議が成り立っていません。攻めと守りの立場は分かっていますが,堂々とした守りを期待するのは無理なのでしょうか。それが責任のある立場であると思います。
 物事の進行は真っ直ぐに進まず,必ず紆余曲折があります。こっちに行こうとしたが,思い直してあっちに行くことがあります。物事が進む中で見えてくるものがあるからです。人の考え得る範囲は限られています。夜道を提灯を持って歩いているようなものです。進むにつれて状況が変わっていきます。およそ課題というものは,状況に対する適応です。思い通りに行かないのは,どうにもならない外部の要素が絡んでくるからです。自分の方が変わらなければならない,どう変わればいいのか,それが課題の本質です。したがって,紆余曲折せざるを得ません。
 かくあるべきというこだわりは必要ですが,こだわりに固まると前に進めなくなります。人が持っているこだわりは,それぞれに違います。その違いをすりあわせるために討議をします。すりあわせるとは,共に変わることによって可能になります。自分は変わらず相手が変わることを願うのは,愚かです。全能の神でもない不完全な人間には,そのようなおごりは似合いません。お互いのこだわりが完全ではないから,討議によって磨き上げていくという努力が,人間らしさです。
 君子豹変するという言葉があります。君子は豹変できるから君子らしさを発揮します。豹変することを恐れたら,賢さは封鎖されます。状況は常に流動的で,その時々で判断するしか無く,過去の判断は現在の判断で上書きされて無くなっていくものです。となると今の判断は将来にも耐えるかどうかは不確定ということです。森羅万象生々流転と言わざるを得ません。それではなにも決まらないとなりますが,常に新しい状況に適応できるように判断をし続けていけばいいのです。
 首尾一貫した判断,ぶれない姿勢が大事ですが,多少のぶれを覚悟しなければ,物事はなりません。80点の判断を望み,60点の判断を保っていけば,現実的でしょう。想定外のことが起これば,修正をすればいいのです。修正したことをぶれるというのは当たりません。
 討議の始まりの判断が,討議によって変更されることもあるはずです。受け止めて真摯に判断し直すという度量こそが,信頼を生み出します。もちろん,あらゆることで変わるべきだというのではありません。変わるべき時に変わる勇気を持つということです。自己の自尊心に縛られるよりも,責任をきちんと取ることを優先すれば,堂々とした判断が可能になるはずです。あまりに稚拙な判断が修正に至るのはみっともないことではあります。状況把握は念入りにすべきです。

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(2010年08月08日号:No.541)