家庭の窓
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ある会報を手にして最初のページに目を落とすと,見出しにある「最小不幸社会」というワードが飛び込んできました。時の首相が語った新しい社会キーワードです。最小不幸という見方は逆であるという政治家の発言を耳にしたことがあります。どのような論が展開されるのかと興味を持って読み下しました。会の活動とリンクさせた論であり,それなりの説得力がありました。
現状に立脚した話が必要な広報の類では,今の言葉を上手に取り込むのは必要な展開です。何事かについて意見や考えを訴えるためには,ホットな言葉を混ぜ込んだ方が受け取りやすいという面があります。会合でのあいさつなどでは,よく使われる手法です。
定期的に発表しているこのコラムも,今の言葉を使うのが賢いやり方でしょう。今を記録するという目的があるなら,それもいいでしょう。そういうことは分かっているのですが,このコラムではあまりそのやり方はしないようにしています。新しい言葉というのは,一方で時間が経てば古ぼけるという宿命を持っています。生きのいい言葉には,賞味期限があります。そこで,後で読み返したときには,味わいがなくなります。いつまでも味の落ちない文章を,それがなんとなく心に留めていることです。色あせない話題,それはごく日常の中にあります。旬の話題というものもありますが,それは毎年巡ってきます。
時代の流れの中にある言葉は,それが意味する内容を自分の中で咀嚼し納得するまでに時間が必要です。一方で,受け取る側も同じ状況です。それでは,コミュニケーションが成り立ちません。言葉が定着するまで待つことにしています。新しい言葉を使い切れないというのが本音です。曖昧な言葉を新しいからと安易に使ってみても,文章という言葉のつながりがきちっと整いません。どうしても継ぎ接ぎになります。つい使い古した言葉に頼ってしまいます。
流行語がありますが,ほとんどがそういえばそんな言葉があったなということになります。ひとまとまりの文章の中に流行語が紛れ込むと,しばらくするとそこが朽ちて,全体が色あせてしまいます。なにも長生きするよい文章を書こうといった大それたことを考えているわけではありません。ただ,自分なりに腑に落ちる文章を書きたいと思っているだけです。
もちろん,時代の中で浮き上がってきた言葉を否定しているのではありません。今を見つめて考える文章も必要な場があります。そこでは,大いに使われることになり,多くの人に使われることによって
,新しい言葉の概念が固まっていきます。言葉は使われることで,磨かれていくものです。「最小不幸社会」という言葉は,おそらく,別の場所では,使ってみることになりそうです。もちろん,自分なりの理解を付記する必要はあります。
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