《しあわせは 明るさ求め 影を踏み》

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 あるところでの経験です。正式の文書を届けて協力をお願いする組織の間の依頼事業について,依頼先の末端機関での協力が得られていない危惧があります。そこで,協力して頂いたかどうかを把握するための返信を求めてはという意見が持ち上がりました。それに対して,「管理者は協力してなくても「しました」と書いてポンと返事するよ。それに,たとえ管理者は協力するつもりであっても配下の手元で止まってしまうもの,余計なことはしないから」という声で一蹴されました。
 その場は苦笑いで終わってしまいましたが,なんとなく後味の悪さがありました。人を全く信用しようとしていないことです。確かに期待はずれの人もいるのが現実ですが,期待に応えてくれる人がいないわけではありません。ちゃんと対応をして頂けるという信頼を前提にするから,組織間の依頼が行われています。
 場所が変わっても,同じようなことによく出会います。したり顔に人は信頼できないという意見を持ち出してくる方がいます。こちらとしては,そういう人がいる可能性は十分に承知した上で,信頼できる人との関わりを求めようとしています。後ろ向きな意見を持ち出す方は想定外なのです。
 少しばかり意地悪な類推を働かせると,人は自分に似合った考え方をするということです。つまり,自分だったらいい加減なことをするから,人もそうするという考え方をします。面倒だからしないでもいいという手抜きを普段よくしているから,人とはそういうものというすり替えをします。そうすれば自分を一般化できて,無責任という糾弾から逃げることができるからです。自分だけではないという誰もが持ち出す隠れ蓑です。
 げすな詮索は気持ちのいいものではありません。心地よい大通りを歩くように,真っ当に考えることを基本にしたいものです。もちろん明るい通りには影ができます。明るさがあるから影ができるのであって,影から明るさは生まれません。ものの道理を信じた方がよい結果につながるはずです。
 いろんな行事や活動を計画する会議では,その効果に対する予測が話題になります。「そんなことをしても誰もついてこない」,そういう意見が出てきます。全くゼロの効果であるかのような意見ですが,話の仕方が逆です。誰もがついてくるものを考える会議ですから,改善意見を持ち出すべきです。改善意見を出せれば苦労はしないという声が聞こえてきます。それが困難だから,会議をしているのです。
 非公式の場でも,否定する向きの話が主流になります。結果として,話が展開せずに,ぐるぐる待って袋小路,諦めに終わることになります。突き出ていこうという話は重たく感じるので敬遠されるのでしょう。そういう話の方が好きなのですが・・・。

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(2010年10月03日号:No.549)