《しあわせは それと知らせず 片付けて》

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 いい国(1192)つくろう鎌倉幕府。歴史の学習で年譜を覚える語呂合わせでした(今は1185年だそうです)。国というものを視野に入れる経験になります。しかし,その場合の国とは,過去の世界,歴史事象としての国でしかありません。一方で,国のことを語れば,古めかしい主義主張に結びつけられる浅はかな風潮がありました。国を憂う。そのような大それたことを考えている若者はいるのでしょうか。少なくなったのは間違いないでしょう。
 自分の延長上にある国を想定することは大事なことです。そこに民主主義の根っこが埋まっています。個人的な世界に閉じこもって,ケータイ・パソコンでかろうじて外界とつながっているようでは,ほとんど井の中の蛙状態です。就職先に大都会を目指す若者が減っています。外国に飛び出す元気も見当たりません。若者が,チマチマとした世界の中でオンリーワンと自己満足しているようでは,国の行く末が案じられます。
 日本には技術力がある。それはもう昔のことです。技術を磨こうという若者は減っています。物事を緻密に考える精密な知能を持とうという意気込みがありません。創る人ではなく使う人でしかない,そこに技術は生まれようがありません。料理を食べてあれこれご託を並べることはできても,料理をできない人が増えているようなものです。消費の国は尊敬されることはありません。
 国を背負うという気概のようなものが見当たらなくなりました。この人は国を背負おうとしている,そんなプライドを感じさせる人がいません。そういう人を必要としない平穏な時代なのでしょうか。そういえばちょっと前,100年に一度と言い立てられた騒動がありました。戦後の混乱ほどの大変がやってくるのかと不安でした。100年に一度にしては,あまり大きな変動は起きていないようです。やはり,今は平時のようです。だからでしょうか,平和ぼけということが言われています。
 あれやこれや問題を掘り出す人はたくさんいます。見つけるだけで済むという甘えが見られて,滑稽です。問題の解決を引き受ける太っ腹の人も少なくなっています。運命のいたずらでたまに解決の場にシフトする人もいますが,解決の道筋が見付からず右往左往して見せています。解決の途中経過を見せることなく,こともなくことを納める技量が失われています。
 そんなに言うなら,あなたがすれば! そう言われたら受けて立つという覚悟がない物言いは大人げないものです。そう思って,自分にできないことは言わずにいると,どこにいっても無言で過ごすことになります。できることが少ない自分を駆り立ててています。 

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(2010年10月10日号:No.550)