《しあわせは 自分のペース 取り戻し》

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 霜月に入ると,年賀状が現れます。師走に相応しいと思うのですが,毎年早めに登場されるので,困惑します。年末に限らず,節目のものを時季外れに早手回しに扱うことが,商売の世界では有利なのでしょうが,やり過ぎではないかと思っています。あからさまな物言いですが,金儲けという欲に引きずられて,季節の風物の時季感覚がはぐらかされるのは無粋で興ざめです。そういう感性を失いたくはありません。
 売り尽くしというセールがあります。先日は,賞味期限間近の食品を安売りする店のニュースがありました。賞味期限の期間が残り3分の1になると,廃棄処分するのが慣わしらしく,その損失を減らすための安売りということでした。通い慣れているスーパーでも,期限間近のものが安売りされていることがあります。無駄をしないという理念に異を唱えるつもりはないのですが,始末し尽くすという思いが野暮に感じられます。何が何でも売りつけよう,その気概は認めていますが,節度を失わないようにして欲しいものです。
 このように,ちょっと風流ぶると,現実の生活の厳しさから浮き上がるスタンスになります。何を呑気なことを,という捨て台詞を向けられることでしょう。風流と野暮とは仲良くけんかをする間柄です。このどっちつかずの浮遊感,落ち着きの無さを楽しむのが人らしいのかもしれません。こうだと決めつけてしまえば,すっきりしますが,面白くありません。
 ちょい悪おやじという言葉もありました。真面目か悪さの極地ではなく,どっちつかずの曖昧さにワクワク感がそそられる,怖いもの見たさのような背反心理が刺激になるようです。味にしても,単純に甘いとか辛いとかよりも甘辛い,ほかにも甘酸っぱいといった好みがあります。
 もちろん,常に中途半端であるのは不自然です。あるときは風流で,あるときは野暮で,揺れ動くことが自然です。どちらかに固まらずに,自由自在に行き来することができれば,楽しいでしょう。揺れ動く途中にどちらでもない中間状態を通り過ぎる瞬間があるからです。但し節度ある範囲に止めておかないと,復帰できなくなります。やり過ぎて取り返しがつかないという限界があることを忘れないことです。
 誘われるままに年賀状の購入は終わりました。すっかり載せられた形ですが,一つのけりを付けて,後は年末の作成投函作業まで放置しておけばいいので,自分のペースを守ることができます。自分の領分まで引き込んでおけば,急かされる気ぜわしさを避けることができます。ただし,年賀状の件は終わったと思ってしまうと,賀状を書くきっかけを掴み損ねて,締切に慌てることになります。レディ状態であるという緊張は持続しなければなりません。
 暮らしの節目のスイッチは自分が押すという緊張感を保つ,そのためには自分のペースを取り戻す孤高さが必要でしょう。

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(2010年11月21日号:No.556)