《しあわせは ただでいただき 感謝する》

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 NHKの朝の連続ドラマ「てっぱん」の中の台詞です。「美味しいよ。ただなら。でもお金を払っても食べたいものとは思わない」といったようなものでした。ボランティア活動が身近にあることから,この台詞に反応してしまいました。ボランティア活動に対して,「アリガトウゴザイマス」の言葉がいただけます。しかし,ボランティア活動は無償だから感謝されているのでは,お金を払ってもしてもらいたいという域に入ってはいないのではと,言われているようでした。
 ただの仕事とお金を払う仕事では出来映えが違うのが普通です。さすがお金をもらえる仕事という評価があるとすれば,仕事の質を考える必要がありそうです。ボランティア活動はどの程度の質であるべきか,ただだからこの程度で,ということになっているかもしれません。いい仕事をするという目標を立てているとしても,お金を頂くかそうでないかを意識することによって,気の入れようが違ってくるでしょう。
 ボランティアが行うただの仕事をそこまで考えるべきかどうかという原則論的判断は別として,いい加減な仕事をしないという歯止めは心に留めておく必要があります。そうなると,ある程度のちゃんとした仕事をするためには,経験を要することになります。ボランティアはずぶの素人では済まないのです。未経験者にはきちんと研修を課する必要があります。同時に,研修を受けなければならないというのではなく,受けることが当たり前という共通認識ができるようにしたいものです。
 仕事の品質が保証されているからお金という対価が釣り合います。受給者も品質を期待します。ボランティア活動の品質について,受給者はどのように考えているのでしょう。自分がボランティアの助けを求めるとして,思い巡らしてみます。自分にはできないことを頼む場合,用が足りたらいいと思うでしょう。ちゃんとした結果を求めるなら,お金を払って専門家に頼るはずです。ただ,その金額が高いとなると,ボランティア活動に頼りながらもよい結果を求めることもあり得ることです。そこが現実には悩ましいことになります。
 日常の暮らしに関する活動では,同じ立場の人がボランティアになった方がいいようです。例えば,子育ての支援は母親経験者が,といったことです。人は金銭的対価の枠外にある私的な領域で家事といった形で仕事をしています。熟練した仕事ができます。その領域では,十分な品質が期待できるはずです。仕事の種類によって,状況が変わってくるのは当たり前です。
 仕事のソフトとは別に,モノといったハードについても似たようなことがあります。受け取る立場では,ただであればありがたいのですが,お金を払ってもとなると考えてしまうということがあります。引き出物や記念品などです。ただですので,それに折角の頂き物ですので,ありがたく受け取っていますが・・・。頂いたのはモノではなくて,お心遣いです。

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(2010年11月28日号:No.557)