《しあわせは 生きてるリズム 取り戻し》

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 1月も半ば過ぎになりました。非常勤の専門学校でも新学期が始まり,平常のペースになってきました。文書やメモなどで何かと日付を書くことがありますが,年数がスムースに出てきません。平成は20年?,21年?,22年?,23年?,西暦は2010年?,2011年?,2012年,2013年?。一桁目の数字1と3が和暦と西暦でごちゃごちゃになっています。毎年のことですが,年数がすっと出てくるまでには,反復の積み重ねが必要です。
 パソコン画面の隅に年月日を表示しているので,パソコン前にいるときには,目で確認できます。離れているときは,手帳の表紙裏の暦を開きます。拠り所が手近にないときには,窮余の一策になります。昨年は何年であったかを思い出します。平成22年,2が並んでいるので覚えやすい,西暦2010年,ちょうどきりがよいので覚えやすい,それぞれに1年を足して,今年は○○年と計算しています。面倒なことですが,今しばらくの辛抱です。
 「今年は○○年」というメモリー回路が構成されるまでは,神経細胞が連接する期間が必要になります。コンクリートが固まる時間が必要になるのと同じです。覚え直しを繰り返すことで,回路のつながり方が強くなって,やがて固定化されます。擦り傷が修復するのに時間が掛かるようなものです。傷がいつの間にか直るように,記憶回路もいつの間にか出来上がっていきます。自然の営為に任せて,焦らず慌てず,ゆっくり待ちましょう。人は器械ではなく,生き物なのです。
 人は生物であるという事実が,意識の外に置かれて,想定外になっています。社会が機械仕掛けのように動いていると錯覚しています。生物が創る社会ですから,社会も生物的になるはずです。人のつながりも歯車が絡み合うようなきっちりとしたものではないのに,固い?絆になるはずという思い込みが裏切られていきます。ゆっくりと繰り返していくうちに,なんとなくつながっていくものです。つながっても,しばらくすると,なんとなく離れていくのも自然な出来事です。ゆったりとした時間経過を,意識しながら取り戻したいものです。
 人のメモリー回路は悠長なので,必要不可欠な情報記憶がパソコンやケータイのメモリーに移管されます。人の記憶回路は御用納めの状態に置き去りにされて,活性化できずに,益々機能が衰退していきます。使ってこそ生かされるという生物機能は,情報社会の中で居心地の悪い状況に追いやられています。その例が,パソコンで文書処理をしているから,文字を忘れていくということです。記憶回路を使わなくなると,人の頭はどうなるのでしょうか?

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(2011年01月16日号:No.564)