《あなたには 味の違いは 無駄な手間》

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 コマーシャルで登場した「違いが分かる男」というフレーズは,その後人物紹介のキーワードとしてごく普通に使用されています。言葉自体は特にインパクトを醸し出すものではありませんが,新鮮なニュアンスを掘り起こしたような印象を与えてくれます。
 違いが分かるという定義によって,人の能力の中でいままで隠されてきたものを見つけ出したのです。ものごとを見極める鋭い眼差しが何を見ているかという問への解答です。分かるとは,ものごとを分けて見ることであり,分けるためには違いを見つけなければなりません。違いが見つかれば,分かったということになります。
 性格を見極めようと,血液型に分けることが流行っています。その違いによって多少は納得できると感じているはずです。違いが分かる人とは,血液型のほかに,多様な分け方を知っている人のことを言います。広い視野からものごとを多面的に見るのも,いろんな違いを見つけることなのです。
 違いが分かるためには,言葉を知らなければなりません。言葉こそが違いの直接的な表現だからです。男と女,老人と少年,健康と病気,上品と下品,温暖と寒冷,勇気と卑怯,穏和と冷酷,自然と人工,有と無,粋と野暮,頑固と優柔,聖と俗,新と旧,真と偽,純粋と不純……。
 ところで,事態はそれほど簡単ではないと感じられることでしょう。例えば,中肉中背の普通の人という言い方がありますが,それに当てはまる人は多数派です。別の違いを持ち込まなければなりません。一般には,住所,氏名,生年月日ということになりますが,その違いは本人しか知りません。黙って座ればぴたりと分かるという超能力が必要です。
 人は学習をします。その最も中心は違いを分かる術を獲得することです。自然環境や人工環境の中に見えているあらゆる事物のいろんな違いを見極めたいという欲求が学びの原動力です。人のうわさ話を楽しむのも,違いを知りたいからです。ただ,いい加減にしないと,差別という危険ラインを踏み越しますので,十分にご注意を!
 人が恋をするのも,ある人のあるところを他の人とは違うものと分かったつもりになるからでしょう。若者がブランド品に惑わされるのも,モノの違いで人の違いを演出しようというねらいが漂っています。違いが分かる大人へのスタートになってくれれば,授業料も無駄にはならないのですが。

(2001年05月06日号:No.57)