家庭の窓
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東北関東大震災。歴史に残る震災に間接的に立ち会っています。情報の流れに直面しているだけですが,津波に襲われた方々がどのような思いであるのか,身に置き換えると戦慄が走ります。亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。被災された方のご苦労をお察しし,落ち着いてご安心される日が一日も早く来ますように御祈念いたします。
津波の恐ろしさは,根こそぎ生活のすべてをぬぐい去り無にすることです。なすすべもなく見送って,呆然とした時を過ぎると,明日への展望が描けないという現実に気付きます。ごく当たり前の生活環境がなくなると,無力です。電力,ガソリンといったエネルギー,食糧や衣類といった必需品,防寒や休息といった住環境,情報通信機器も含めて,その基本的な生活環境がどれほど重要であるのかに気付かされます。
当分の間,着の身着のまま,丸腰で生きていくという力を呼び覚まして,皆で助け合って,インフラの回復まで辛抱しなければなりません。たくさんの支援がやがてうねりになって届いていくはずです。その中の一隅に参加します。
地震,津波,火事,原子力施設の事故,複雑な災害模様に戸惑っていますが,その場で真摯に直面している方々の努力が徐々に効果を発揮しています。受けた被害をどこで食い止めるか,そこから反転が始まります。夜は明けます。薄明かりの時期がしばらく続くでしょうが,明るい昼は確実にやってきます。眠りこけていた力を発揮するときです。そして,被災地のどこも冷静に行動できる人ばかりであるというのは,すごいことであり,なによりのことです。
同じ国に住む人々が難儀をしている姿を見ていると,平時の生活をすることが憚られるような気分になります。何かを手伝いをしなければという本能と,自分に何ができるのかという冷静さに向き合って,宙ぶらりんな状況に置かれています。
落ち着いて考えてみます。直接の支援をする人は近くにいるはずです。遠く離れている者はそれなりに,元気な国の力を維持することに関わっていればいいはずです。支援の補給を確保することも大事なことです。
支援には2種類のものがあります。一つは,母のように寄り添って痛みを和らげてくれる治療の支援です。もう一つは,父のように離れていて立ち直りに向けた支援です。優しさと逞しさのコンビネーションです。いたわりと同時に,元気な世界がそばにあることで励ましになります。みんなが落ち込んでいては,立ち直りはできません。こんなに元気なみんなが付いているから大丈夫というメッセージを送り続けられたらと思います。
祈るだけではなく,元気な私たちであり続けること,それが誰にでもできることと思い始めています。
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