《しあわせは 素直な気持ち 堂々と》

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 毎年度のことですが,3月は別れ,4月は出会いがあります。社会教育委員と人権擁護委員の委嘱を受けているので,行政の担当者とのつながりがあります。その担当者が移動をするので,人間関係に変動があります。毎日のお付き合いではないので,馴染むまでの期間が長くなります。やっとあうんの呼吸ができたと感じていたら,去って行かれます。新しい方と仕切り直しです。
 かつて大学に勤めていた頃は,毎年4年生を卒業研究で向かい入れていました。一年間の密なつきあいをして,送り出します。修士課程の学生であれば,2年間のつきあいになります。毎年のように学生を迎えて送り出すことを繰り返してきました。別れと出会いに慣れっこになっている自分がいます。
 その繰り返しを経験していると,人間関係の持ち方にあるパターンができてきます。それは出会いを大事にすること,一期一会の気持ちで接すること,今日が最後となるかもしれないと礼を尽くしておくことなどです。具体的には,一度一度の別れの時に,今日のお付き合いに感謝の気持ちをきちんと伝えておくことです。最後の別れになってしまった後で後悔することは,きちんと感謝の気持ちを伝えていなかったことが多いからです。そういったことのすべてが一期一会の気持ちというのでしょう。
 郵送された事務的な連絡文書の片隅に,移動になりましたというメモがありました。ありがとうございましたと無言で返事をしながら,メモを手に受け止めます。歩む道が違って再び出会うことはないでしょうが,それぞれ元気に過ごしましょうと,思い出した姿に語りかけています。
 仕事や役の上でのつきあいでは,個人的なつながりにはなりません。いわゆる友達づきあいには進みません。さっぱりした関係に止まります。だからといって,いい加減にしているのではありません。つきあっているときは心を込めています。精一杯の力を注ぎ込んでいるつもりですので,自分としては充実したつきあいになっています。
 個人的なつきあいになり得ない理由があります。飲みニケーションができないからです。お酒を飲まないので,アフターのつきあいを持とうとしません。堅物ということでしょうか,面白みのない人間であることは自覚しています。気持ちを開くために酒の酔いの力を借りるということがあるようですが,普段から気持ちを開いているので,これ以上開くために何かをする必要はありません。もちろんそれは自分の側のことであり,相手はそうではないので合わせることが必要と反省しています。
 建前のつきあいと,本音のつきあいに違いがあるということもあるでしょう。本音のつきあいをする方がいいと思う人が多いかもしれません。しかし,誰とでも本音のつきあいをすることもないと思っています。ごく身近な人とだけ本音のつきあいをしていればいいと思っています。また,本音と建て前の間に,素直に自分を出した建前というものも在りうると思っています。信頼と協働という文字通りの関係を持とうと心掛けています。小賢しいつきあいはしたくありません。堂々と人に対することが,楽しくつきあいができるコツだと感じています。

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(2011年04月10日号:No.576)