《しあわせは 程よいずれを 招き入れ》

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 最近,物事の処理の仕方が横着になってきたようです。若い頃は,事前にあれやこれやと思いを巡らせて,準備万端整えて事に当たるというやり方であったように思われます。特に意識をしてそうしていたのではなく,今振り返ると,そう思われるということです。万端整えるといっても,本人がそう思っているだけで,整ってはいなかったようです。ずいぶんと手落ちがあってヒヤヒヤしたことが度々でした。
 今はというと,窮すれば通ず,といったやり方です。事前にあれこれ考えるのは面倒で,いよいよ切羽詰まって急ごしらえといった有様です。集中するせいか,かなりいい線の仕事ができているように思っています。こんな展開がどうすれば出てくるのか,我ながら驚くことがあります。何かを説明する文章を書いている際に,ちょっと気を抜いた後など,新しい視点をぽろりと取り込んでいることがあります。
 新しさは不連続性を持っています。流れるような思考の中では出てくることはありません。思考を中断することがよい結果を生み出しています。若いときは一気呵成に片付けようとするので中断することなどありませんが,歳を重ねると息が続かずに小休止を取らざるを得ません。その隙に異端の要素が忍び込んで,思考のずれが生じるようです。遺伝における突然変異に似たことが起こるのです。思考の新しい展開が紡がれていきます。
 ただし,この思考のずれがあまりにおおきく支離滅裂になると,脈絡のないぼけた言動になってしまいます。そう考えると,思考の段差が生じてきたことを喜んでばかりもいられません。憂慮すべき事態が我が身に迫っている前兆として用心すべきかもしれません。
 過ぎたるは及ばざるがごとしで,物事は程のよいのが一番です。硬すぎず軟らかすぎず,厚すぎず薄すぎず,暑すぎず涼しすぎず,熱すぎず冷たすぎず,大きすぎず小さすぎず,早すぎず遅すぎず,強すぎず弱すぎず,高すぎず低すぎず,遠すぎず近すぎず,明るすぎず暗すぎず,難しすぎず易しすぎず,その間合いを保つのは熟練の技量になります。道を究めるという極意は微妙なバランスを検知する勘の冴えによって得られるものです。その勘を支えているのが気力ですが,そこにも力みすぎず緩めすぎない集中が必要になります。
 程の良さを求めているつもりでも,気を散らすと,いい加減なことに堕落します。気の乱れは着衣に現れます。身だしなみのチェックをすることにしましょう。

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(2011年04月17日号:No.577)