《しあわせは 過ぎたひととき 呼び起こし》

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 「緑がきれいですね」。山懐の4階建ての施設の廊下を歩いているとき,窓に迫ってくる木々の斜面に目をやっているとき,背後から聞こえてきた言葉です。距離感を保ちながら,慎ましく寄り添ってくるような間合いが,得も言われぬ好感を誘い出します。ほっとする雰囲気に包まれて,とても清々しい気持ちにさせられます。
 美しい風景を切り取る視線を持ち,それをことさらひけらかすのではなく,そう感じませんかとさりげなく伝えてくれる会話ができる人は,一緒にいて素敵な人です。その言葉にきちんと絡み合えるような返事ができない不甲斐なさを感じていました。気持ちが空白なところを不意打ちされて,迎え入れる体制になかったからです。映画の名場面であれば,しゃれた大人の会話になったでしょうに,その機会を逃してしまいました。若い頃に見たハリウッド映画のヒーローとヒロインのようにはなれないようです。
 場違いともなるやりとりをそのとき限りとして楽しむことも,人付き合いの妙です。人が心を通わすことは,何時もあることではありません。ほんの一瞬でも気持ちが通じることができれば,生きている証にもつながってくる和やかな関係の元になります。
 今少し気持ちの動きを振り返ってみます。廊下を歩きながら,見るとはなしに窓の外に目を向けて移動していました。「緑がきれいですね」。その声を後ろから受けた瞬間,太陽に照らされた新緑の木々の輝きが鮮やかに目に飛び込んできました。目線を変えたわけではないので,見えていなかったものが見えたという不思議なことが起こったのです。見させられたといった感じですが,決して無理強いされたというのではありません。素直に気付かされたということでした。こんな風に気持ちの中にすっと入り込んでくる人がそばにいると何と心地よいのでしょう。
 一瞬の至福に酔いしれているばかりで,受けた上の句に下の句を付けることができなかったことを後悔しています。移動の途中であったので廊下の時間はつかの間であったこともありますが,よりよい時を過ごそうと願う気持ちを向けていなかったからです。人に対する優しさを意識しないままに絞っているようです。それが生きていく上で必要な姿勢としているからです。とはいえ,返句をしていない非礼さを何時の日か詫びなければなりません。ごく自然にさりげなく。そういうやりとりが似合う佳人です。

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(2011年05月15日号:No.581)