《しあわせは 身の処し方を 気付かされ》

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 「九州の人間ですけん,語気が荒かったりした。B型で短絡的なところがある」といった釈明をしていたが,その後辞任した大臣のニュースが流れていました。九州のB型の人が聞いたらどう思うだろうかと考えました。九州もB型も関係ねえだろう,御前がいい加減なだけじゃねえか,といった声が聞こえてきそうです。
 国と地方とは対等な関係が原則ということを踏み外して,高飛車な物言いはいただけません。応接室で待たされたことにご立腹のようでしたが,後からやってきた知事の遅れたことのお詫びの言葉がなかったのも,礼を欠いていると思われました。このような本来の職務に関係のない不手際で辞任をするという国政の体たらくを見せられて,呆れるばかりです。
 ふっと,孔子の言葉を思い出してしまいました。

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 「吾十有五にして学に志す。」
読み方「われ じゅうゆうごにして がくに こころざす」
(意味)私は十五歳のときに徳を磨く道を志した。

「三十にして立つ。」
読み方「さんじゅうにして たつ」
(意味)三十歳のときに自分の内の私欲、外からの誘惑に負けない、道を貫く立場を固めた。

「四十にして惑わず。」
読み方「しじゅうにして まどわず」
(意味)四十歳のときに、これまでの経験を踏まえ、何があっても道を疑うことが無くなった。

「五十にして天命を知る。」
読み方「ごじゅうにして てんめいを しる」
(意味)五十歳のときに、天が作った世の中の原理を知ることができた。

「六十にして耳順う。」
読み方「ろくじゅうにして みみ したがう」
(意味)六十歳のときには、人の言うことの本質がわかり、ふりまわされなくなった。

「七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず。」
読み方「しちじゅうにして こころの ほっする ところに したがえども のりを こえず」
(意味)七十歳のときには、心のままに動いても、守るべき範囲を逸脱することが無くなった。
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 抱えている本心を正直に吐露する不用心さは,普通にあることかもしれません。しかし,公人であれば,片時も本心のあからさまな発言は控えるべきでしょう。オフレコであると断っておけばいいと考えるのは,オフレコのつもりになっている本人にしか通用しないことです。芸能人であれば,上手にフォローする技を持ち合わせているかもしれませんが,演じることになれていない公人ではそうはいかないという事例は指折り数えるほどあります。
 「七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず。」という境地になれば,本心のままの言動をしても,公に通用する範囲の中に収まるはずです。年齢が至らず,未熟の態を暴露したと思えば,仕方がなかったと思うべきかも知れません。それであれば,任命した者の浅はかさを問わなければならなくなります。
 いずれにしても,自分一人の顛末で終わればまだしも,公人としての中途辞任は傍迷惑です。「よい勉強をした」といった太平楽を言えるほど無自覚であるとは,大人げないと断じるしかありません。本務の途中に倒れるなら男子の本懐でしょうが,なんとも恥さらしなお粗末さです。
 九州という土地柄やB型といった曖昧な占いにこと寄せて自らをかばい立てする卑怯さも現れて,底の浅いことが露見してしまいました。尊敬という軸線から滑り落ちていったようです。
 人の振り見て我が振り直せ。その言葉を追い出して,この話題は閉じることにします。

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(2011年07月10日号:No.589)