《しあわせは 今このときを 精一杯》

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 とある研修会に出席しました。4,5人からなる班毎に異なる課題が与えられ,一人一人が対応を考えて文章に書き出します。それらを別の班の人たちが評価してベストなものを選び出して発表するという展開でした。我が班の一人の男性が,いっこうに取り組みません。参考に配られた資料を眺めてばかりいます。制限時間が来て,隣の班に文章を渡すときになっても,そしらぬ顔です。完全に枠外に外れています。どういう人なのか,いぶかりながらも,初対面なので,ことさら言葉掛けをすることもなく,構わないでいました。
 研修の終わりに意見を述べる機会が設けられました。そのとき,件の男性が発言を求めました。「自分は考えるのに時間が掛かり,コーヒーを飲みながらゆっくり考えるのを常にしている。短い時間に結論を出すような今回の形のやり方もあるかもしれないが,お互いに不完全なものを持ち寄ってその良し悪しを考察しても大して役に立つとは思えない。それよりも,優れた事例をたくさん提示してもらうような形の方が研修として有意義であると思う」。
 自分のやり方ではないから参加しないという態度,自分のやり方をして欲しいと望む意見,目にして耳に聞いて少しばかりむかつきました。自分の期待とは違うことになるのは世間では普通のことです。たとえ違ったものであれ,その場その時に突きつけられる課題に真っ向から取り組んでいく,それが研修というものです。今時の若者風に自分に合った仕事でなければしないという幼稚さが見えて,いっぱしの大人が情けないという思いでした。
 もちろん,本人は悪気はなく,単純に不器用であるということなのかもしれません。傍から見ている方に,勝手な色眼鏡が被さっていることもあります。良い仕事をするためには,あくまでも自分流の形にこだわる必要があるでしょう。そのことを認めた上で,この場は研修の場であること,自分の能力を伸ばすためにも,新しい状況に対処してみようというやる気が問われていると思ってくれたらと感じました。
 今この時を無駄に過ごさないように,そう思うことが度々あるので,せっかくのチャンスを掴み損なっている場面に出会うと,気になってしまいます。専門学校で教えていると,授業についてこようとしない学生の姿に,もったいないと思います。今を大事にしないと,その付けは取り返しが付かないと,先輩としての反省を語っても,通じない歯がゆさがあります。
 今が肝心なとき,そう思い定める気力が働かない人生は,何となくという流れになります。時間という財産をしっかりつかみ取ることができれば,楽しい生き方ができるのではと考えています。

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(2011年07月31日号:No.592)