《しあわせは 欲望満たす 努力する》

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 食欲について,一つの文章に出会いました。美味しくものを食べたい,美味しいものを食べたい,この2つの文章に表される食欲の違いを,前者を自然的食欲,後者を奴隷的食欲というのです。美味しくという欲望が食べることに付随しているのはごく自然です。一方で,美味しいというものにとらわれている欲望は,ものへ従属しています。
 同じパタンは,暮らしのあらゆる面に適応できます。美しくものを持ちたい,美しいものを持ちたい。後者は,ブランドものにこだわり,隷属しているパターンを表しています。そういう目線を持てば,オシャレとはどういうことか見えてくるような気がします。
 楽しく話を聞きたい,楽しい話を聞きたい。楽しさを創り出すのが自分であるのか,他者であるのかという違いがあります。話を読みたいという欲望についても,読む者が楽しくするのか,読ませる者が楽しさを用意してやるのかという,主体の逆転があります。
 消費型社会では,モノやコトが溢れて,選ぶことが普通になっています。例えば,三択の中でよりよいものを選んで,悦に入っています。でも,もっといいものがあるのではないかという不安があり,飽くことなき選択が続いていきます。ものに合わない自分に苛ついていきます。自分に合うようにものに働きかけをすれば,一度の選択で済むはずです。似合うというのは,マッチングしているということで,自分との快適な関わりが実現できていることです。衣服であれば,上手に着こなすという働きかけが必要になります。
 美味しさ,美しさ,楽しさなどは,どこに宿るのでしょう。美味しい,美しい,楽しいと形容詞にすれば,ヒト,モノ,コトという客体に宿ります。美味しく,美しく,楽しくと形容動詞にすれば,主体の振る舞いに宿ります。自らを満たすことが欲望であるとするなら,形容動詞で考えた方がいいようです。
 それがどうしたという程度のことですが,小さなことにこだわってみると,見えてくることがあります。そのような経験をしたかどうか,その積み重ねが言動の総体に反映してきます。

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(2011年08月21日号:No.595)