家庭の窓
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電気協会報という月刊の冊子に,黒川伊保子さんの「男と女の脳科学」という連載が載っています。男女の感性の違いを「そうだったんだ」と教えてもらっています。8月号で,また一つ教わりました。「好き」の反対は・・・。脳の感性領域では,「好き」の反対は「嫌い」ではなく,「無関心」だというのです。強く情動を刺激されるか,されないか,という感性入力のオンオフが対になる概念です。情動を刺激する関心の中で,その意味として,好きと嫌いの2パターンがあるに過ぎないのです。
嫌い嫌いも好きのうちと,確かに言えるのだそうです。逆の場合もあって,好きになったとしても,嫌いになることがあり得ます。ただ,ゆっくりと好きになったら,嫌いになるのもゆっくりになるようです。激しい恋が急に破綻するのは,脳の感性特性上避けられないことのようです。男の子が好きな女の子にいたずらをするのは,たとえ嫌われても無関心よりましということなのです。
ところで,以上の学びをしながら,引っかかるものを感じています。好きの反対は?という問いかけです。反対は,左右,高低,正負,善悪,美醜,真偽という対イメージがあります。一方で,関心の有無というのは,反対とは言えないのではという引っかかりがあります。好きの反対は嫌いであり,好き嫌いを含めた関心の有無は,次元が別と考えるべきです。例えば,体重が重いということの反対は軽いではなく,生命が無いということである,と言うことはできません。
有無という区分けは0と1のディジタル表示であり,好き嫌いという区分けは正負の目盛りを持つアナログ表示と考えることができます。有るという状態の中に,その有り様という二次的な様相を想定しています。大切なことは,この重層構造を意識することです。好き嫌いだけで見ると行き詰まるとき,関心のあることにはかわりはないという思えば,開けてくることもあります。幸不幸に振り回されるのも,生きている証であると考えると,どこか救いがあるような気がしてくるから不思議です。
誰にでも好かれたいと思っていても,嫌ってくれる人も必ずいます。いずれも,関心を持ってくれているのであって,無関心に無視されるよりましでは,そう考えた方がよいのか迷います。実際には,周りにいる人が,好きな人と嫌いな人しかいないかというと,好きでも嫌いでもない人が大部分です。嫌われないようにしようとすれば,好かれないようにすることになるかもしれません。関心を持ってもらうことは難しいことのようです。
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