《しあわせは 成すべきことか 考えて》

Welcome to Bear's Home-Page
ホームページに戻ります

家庭の窓にリンクします! 家庭の窓

 分からないことに対して,人は不安を募らせます。分かれば,不安は解消します。ただ,分かりようが,人によって異なるので,一律にはならないという状況が生まれます。
 東日本大震災による原発事故の波及が社会問題です。風評被害という状況があちこちで発生します。放射能の危険度が曖昧なので,安全性が分からずに,不安が広がります。専門家による見解も多様で当てになりません。確かに,放射能の人体に対する影響は瞬時値もあり積算値もあり,さらには確率的でもあって,一筋縄ではいかないことでしょう。訳の分からないものは要らない,近づかないという選択が浮上してくるのは必定です。
 ところで,世田谷区の住宅街の区道で高い放射線量が検出されたという報道がありました。結果的には,区道に隣接する民家の床下にあった瓶の中の放射性物質が原因だったもので,その放射性物質はがん治療や夜光塗料などに使われるラジウムだということでした。実はこの民家で今年2月まで,92才の女性がひとりでラジウム入りの瓶が発見された場所の上で,寝起きしていたそうです。ラジウムの上で50年も生活してきたことになるのですが,計測された放射線量から推測すると,その女性は1年間で30ミリシーベルト近く外部被曝していた計算になるそうで,これは震災後,国が計画的避難区域の基準とした20ミリシーベルトを上回っています。現在彼女は,介護老人保健施設に入所していて,特に病気ということはなく,一緒に住んでいた子どもたち3人(50〜60代)も健康だということです。
 いろいろな事例が報告されたとしても,それが普遍的な事実とみなされて良いものか,判断が付きません。何を信じたら良いのか分からない,それが不安を招きます。人との関わりがまだ浅い技術は,遠ざけて使っている間はよしとしても,身近に迫るとなると,個々の事象の蓄積がないという点で,訳の分からない技術とみなされることになります。何とかなだめすかしてつきあい続けるか,それともあっさりと放棄するか,その選択に揺れ動いているのが今の状況です。
 人が抗えない自然の現象を神がなす所業と思い描いていたことになぞらえると,人が抗えなくなる技術は,神の領域に踏み込んでしまったと恐れおののくべきかもしれません。身の程を弁えるという言葉や,バベルの塔の故事を思い起こす警鐘と受け止めることが賢い思慮となります。しかし,人は賢さを押しのける激情を持ち合わせているのです。

ご意見・ご感想はこちらへ

(2011年10月30日号:No.605)