《しあわせは 体感温度と 対話して》

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 師走です。今日と明日を気に掛けて日を過ごしているうちに,カレンダーは最後の一枚になりました。そういえば,関係している団体で催すイベントのために場所を借りた大型店舗では,クリスマスグッズが展示されていたようです。ラジオからは,年賀状を書いているという視聴者の便りが聞こえています。今頃から,新年の挨拶をしたためているということが,どうにも違和感が否めません。そのような気になる人がいるのは,ラジオの中の遠い世間のことのように思われます。
 年賀状は購入をしていますが,年始のあいさつをする気分にはなっていません。いわゆる日常にどっぷりとつかり込んでいるので,年頭という晴れの日はかなり先に追いやられています。そうこうしているうちに,締切直前になって慌てることになるのですが,例年の繰り返しで何とかなっているので,改めるには至りません。
 季候の暖かさも関係しているかもしれません。クリスマスもお正月も寒いときという刷り込みがあるので,寒さに震えない温もりの中では,記憶を引き出すスイッチが入りません。連れ合いが出かけた旅でも紅葉が見られなかったということで,木々も冬の用意に入り損ねているようです。庭のもみじも中途半端な紅葉で,葉を落としかねています。
 暮らしにおける催事に綾取られる文化は,風土に支えられています。風土は,気候風土と一括されるように,気候とリンクされます。四季の豊かさというのは,気候のメリハリが有るということで,そこに風土が多様化することです。その繰り返しによって,和の文化の年輪が刻まれてきました。人はカレンダーによって生活を刻んでいますが,体感に基づく風土スケジュールも密やかに進行しています。
 事象が円滑に運んでいるときには,ものを考えません。どこか違和感があるとき,どうしてだろうという疑問が生まれて,分析的な思考のボタンが押されます。辿っている思考路がどれほどの適性度であるのか不明であったとしても,哲学の道ならぬ暇つぶしの道を楽しむことになれば,一興でしょう。少なくとも,頭を錆び付かせない暖機運転になるのでは思うことにしています。

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(2011年12月04日号:No.610)